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July 04, 2017

Dる

→というわけでわたくしがディーラーである。ディーラーとはなにか? さよう、ディーラーとはディールするひとのことである。なにをディールするのかといえば、オリジナルレジンキットである。ちがうかもしれない。よくわからない。あと、ガレキともいうみたいである。瓦礫ではない。そのガレキではない。たぶん。じゃあなんのガレキなのかというと、これもよくわからんけど、たぶんガレージキットだからガレキなんだとおもう。たぶん。じゃあオリジナルレジンキットはオレキじゃないのかお歴々。といいたくなるがあまりそうはいわないみたいである。たぶん。そのへん、どういう法則性があるのかはわからない。この、われながらなんだかよくわからないものをDルしているわたくし自身、なんだかよくわからないえたいのしれない人物なので、まあちょうどよい。Dりはじめてもうかれこれ10年くらいはたっているとおもうのだが、なぜそんなことになってしまったのかというと、これまたよくわからない。ともかく月日はながれ、橋の下をそのぶんの水がながれ、いつのまにかわたくしはDラーである。Dってるんである。そして、Dリングの季節がまたやってくる。2月と7月。年に2回、わたくしがDるときである。へらっしゃいませえ。とかいいながら、おそらくハタからみたらおそろしくあやしげなほほえみを力なくうかべてレジンキットを販売するんである。レジンキットというのは、ひらたくいうと「美少女フィギュア」というやつである。いわゆる。あれである。あれの、色のぬられていない、組み立てられてさえいない、ばらばらの部品が袋のなかにちらばっているだけの、未塗装未完成品をうる。うるというのは買うひとがいるから成り立つわけだが、そういうキトクなひとがなぜかいる。うれる。だから、ここぞとばかりにうってうってうりまくる。さすがに10年もやっていると、いろいろなひとがわたくしのまえにあらわれて、いろいろな表情をわたくしに見せ、いろいろなことをわたくしに伝えていった。印象的なかたもたくさんおられた。というか、基本的にこの世界、印象的なかたしかおられない。みなさん、ひとしく、印象的である。たとえば、夏は暑い。というか、熱い。この会場、熱い。hot.おまけにみなさんそんなのはしったこっちゃない。購買意欲に燃え盛っておられる。ひとりひとりが周囲の気温を0.1℃くらいずつあげて、目を血走らせて行列にならび、あるいは一心不乱に目的地をめざして移動している。そういうひとが数千人いる。もっといるかも。だから、そりゃもう、hot.なので、みんな汗だくだったりする。なかには「あなたたったいま海浜幕張の海からあがってきたところではないのですか?」とたずねたくなるようなずぶ濡れの紳士が、わたくしの売り場の列にならならんでいたりする。はあはあぜえぜえといいながら。このままこのひと、ここでブッ倒れて死んだりしないだろうなあと心配になって、さっきもらったガルパンのうちわであおいであげたりする。だいじょぶですか、あついですねえ、とか話しかけながら。ありがとうございます、と感謝されたりする。いえいえどうも、とこたえて、おたがいに笑顔になったりする。ディーラーたるもの、やはり細かいこころ配りがたいせつなんである。あと、女性のお客様に、どうやって色はぬるのか、どうすればうまくぬれるのか、こつはあるのか、とたずねられたりする。これはわりとしょっちゅうある。そんなのおれだってしらないよ。あ。ちがう。ディーラー、言葉まちがえました。それはわたくしもぞんじません。こっちがおたずねしたいくらいです。といいたいのはヤマヤマなのだが、やはりそこはディーラー、なにか適当なことをいわなくてはいけない。「うまくなんてぬらなくていいんです。心をこめてぬりぬりしてあげてください。愛です。愛でぬるんです。一筆一筆。そうしてできあがったフィギュアは、世界でたったひとつの、あなただけのたからものです。一生のたからものです。うまいとかへたとかじゃない。愛です」とかなんとか。そうしてくだんのお客様のおかおをみつめると、なんだか感心なさっておられるみたいである。そうして財布に手がのびる。お買い上げありがとうございます。じぶんでもふしぎなのだが、こころにもないことをいうとき、なぜかわたくしはとても饒舌になる。ついでに活舌もひじょうによくなる。まるで台本を暗記してきた演劇部員みたいなことになる。最終的にひとから信頼をえられないのは、わたくしのこういうところにあるのではないか。とわたくしはちょっとおもったりする。あとディーラーとしてこまるのは、注文をされるときに商品名をいわずに「○○くん」とか「○○ちゃん」とかの愛称でいわれたりとか、あと役柄とか役職とか立場とかなんだかいろいろな呼ばれ方があって、それでいわれてしまうときである。これもよくある。すごくよくある。おなじキャラクターなのにいくつも呼び方があって、そうすると、これはさすがにごまかしがきかない。こっちはどれがだれなのか、あんまりわかっていなかったりする。だってしらないんだもん。ちゃんと商品名いってくれよ。などといえるわけもなく、ひたすら恐縮しながら、それはこれのことですか、それともこっちのこれのことですか、とたずねることになる。そんなことをしていると、売り場のまえの列がどんどんのびてゆく。そっちにならばないでくださあい。通路ふさがないでくださあい。こっちに並んでくださあい。と行列指導をしたりする。世の中にはそういう行為がある。お客様はみなさん印象的で個性的ななかたがただが、それとどうじにみなさんひじょうに素直なひとばかりである。羊のように従順である。こっちに並べといえばすなおにそっちへゆく。あっちをむけといえばあっちをむく。で、行列はこれでいいとして、あんたはどれがほしいんだ。これか。あれか。両方か。なに? 3つくれ? いやだめだ。これはひとり一個までだ。それが決まりだ。それより多くは売れない。そんなこともしらないのか。ち。しろうとはこれだから。あっ、またそっちにならんでるっ。だめだめ、こっちに並んでください。とかなんとか。ディーラー、いろいろ大変である。でも、じつをいうとけっこうたのしい。ディーラーとして大変なのははじめの小一時間くらいで、なんでかというと売り切れちゃったりするからである。うれるやつはあっというまに売り切れる。はじめの数十分でぜんぶはけてしまう。そこでうれ残ったのは、もうあんまりうれない。一時間にいっことか、ぽつりぽつりとうれてくのみである。どのへんにうれる要素があって、うれないのはどのへんがだめなのか、そのあたりのことはディーラーにはあまりよくわからない。とりあえず、嵐のような開始数十分がすぎてしまえばあとは気楽なもので、そのあとはぼーっとあたりをゆきかうひとをながめて、コスプレのひとっていうのは布があんなにすくなくて、あれはあれでいいのかなあといぶかったりとか、てきとうにそのへんをぶらぶらながめてあるいて、じょうずなフィギュアには感心をしたりだとか、個性がさく裂してるやつに度肝をぬかれたりとか、あまりに感心したときはいっそディーラーさんに話しかけてみたりとか、そんなふうにしてすごしているのもまたなかなかにたのしい。そんなたのしいこんどのフェスティボーは今月末。Dってきます。おお。あなたは参加なさるのですか。じゃあ、どっかですれちがったりするかもしれませんね。

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July 01, 2017

アノテーションにあいわたるとは何のいいぞ

→敗因はやはりあの、モバイルフレンドリーではありませんである。わたくしにはホームページがあって、それはみずからがひらいている塾のホームページで、もうつくってからずいぶん時間もたって古くなって、つくった本人さえめったに思い出しもしないような悲しい、うらさびれたやつである。これを先日たまたまゴーグルで検索してみたところ、だいたいゴーグルの失礼なところは、わたくしの風前のトモシビの塾が検索の上位にあらわれるなどということはありえないにしても、それにしたってやがて候補のどこか末席ぐらいはけがしてくれててもばちはあたるまいとおもうのだがしかし、いけどもいけどもわたくしの塾が候補にまったくあらわれない、それどころかどんどんカスリもしなくなってゆくというのは、これはどういうことなのだ? それはさすがになにかがおかしいんじゃないかと思うのだが、だれにどう文句をいっていいのかさえわからないのでおとなしくしていた。これが先日検索をしてみたところ、どういう風のふきまわしか候補にあらわれて、あらわれてくれたのはいいのだがその下に「このページはモバイルフレンドリーではありません」と、こうである。余計なお世話もいいところである。だいたいわたくしはモバイルは持っていないしそもそもモバイルという言い方がなにか気に入らないし、そんなのとフレンドリーになりたくないというかそれ以前にわたくしはだれともフレンドリーであったためしなどないヘンクツ者であるだからほっといてくれといえるのならわたくしもたいしたものなのだが、もちろんそんな度胸などなく、あなたはフレンドリーではありませんときっぱり言い切られてわたくしはいっぺんにしゅんとなってしまった。シオシオになってしまった。すみませんでした。わたくしが悪かったです。それでわたくしはなにをどうすればよいのでしょうかといろいろとゴーグルのホームページを読ませていただいたところ、アノテーションなのだそうである。これがどうみても敗因である。よくわからないんだけど。ええと、あの、アノテーションでなんでしょん? はじめて聞きました。アジテーションならちょっとわかる気がするんですけど、あれの親戚かなにかでしょうか。それともあの、なにかわたくしをだまそうとしてないですか? わたくしだけでなく、ゴーグルさんあなた、世の中全体をあらぬ方向へと導こうとしてないですか? わたくしのおもいすごしならばいいのですが、いえあのですね、どうもゴーグルさんは難しい聞いたことのない言葉をあちこちにちりばめて、アノテーションコノテーションでわたくしをだましにきてはいないですか? あなたのところのホームページを読ませていただいていると、わたくしは、どうにもなんだか不安でしかたがなくなるのです。心配になってくるのです。たしかに世界でなにかがおこりつつある、だがわたくしはそれがなんなのかわからない、わからないまま取り残されてゆく、という心配です。というわけで心配になったわたくしは、おとなしくモバイルのフレンドリー化をすすめることにした。そこからさきの艱難辛苦にかんしては、これはもう筆舌に尽くしがたいモノがある。どれほど苦労したかというと、だれもそんな話は聞きたくないだろうからはしょるけれど、ひかえめにいってわたくしは死ぬかと思いました。もはやこれは死ぬるのではあるまいかと思いながらフレンドリーしました。フレンドリーとはこんなにしんどいものなんですか。泳げども泳げどもあかりが見えない夜の海で必死に手足をふりまわしてもがいているような気分でぱたぱたとキーボードをはたいてはアタマをかきむしるというのをワンセットで100セットほど繰り返し、そうしてどうにか最後のページまでフレンドリーにしてみた。最後のページというのは「定期テスト対策」というやつである。なんでこれが最後になったかというと、ページソースのなかに<script>があるからである。htmlならまだすこしはわかるのだが、この<script>というやつはいけない。お手上げである。見たくもない。あるいはつまり、そういう心構えがわたくしの最大の敗因なのかもしれないとは思う。はじめからもう、ややこしそうなのはおぼえる気がない。見たくない。なんとかその場しのぎでごまかせる方法はないかと、そういう都合のいいことばかり必死に考えて、いちからきちんと、基本からきちんとおぼえてやっていこうという気持ちがない。それでけっきょくかえって苦労が大きくなっている。話がややこしいことにどんどんなっていく。借金が借金をよんで借金がふくらんでいるようなのが、わたくしの開設しているホームページのソース状態である。じつをいうと。見ないでください。恥ずかしいです。

→いったい何がいいたかったのがじぶんでもわからなくなってきたのでたまには段落を変えて落ち着いてみた。ともかくフレンドリー化したわたくしのフレンドリー塾のフレンドリーホームページのフレンドリー定期テストフレンドリー対策コーナーには、英単語練習のページというのがあって、たとえば「問:友達」とかでてきたら、そのしたのマス目に「frend」とかいれると「不正解!」といってもらえるという、そんなかんじのやつである。そこをフレンドリーにしおえて、ああ、やっと全部フレンドリーにしたったわい、いまわたくしはついにフレンドリー、いやあみなさん、どうぞよろしくどもども。と、フレンドリーと大書された名刺をあたりのひとにくばってあるきたいような、ちょっと浮かれた気ぶんで家族のもののスマホを借りてきて、さっそく単語テストをやってみた。「問い:美しい」とでてきたので、ビューティホーと打ち込もうとして、でも入力のしかたがわからないのでそこはたずねながら「bea」まで入力したところで、「予測変換で上にbeautifulってでてるよ」と家族のものがいう。にわかには意味がのみこめずしげしげと画面をながめると、予測変換候補というのが打ち込もうとしている窓の枠上にずらずらとでていて、さあここからえらべ、これをつつけば入力完了、といわんばかりである。まだわたくしは「bea」までしかいれてないのに。おまえはサトリの妖怪か、といいたくなるくらいのあざやかさで「beautiful」と、こうである。え? なにこれ? こんなのでてきちゃうの? じゃあ単語テスト、意味ないじゃん? とわたくしが気づくのとどうじに、わたくしの背後にいた家族のものが「ぷふっ」と声をもらすのをわたくしは聞いた。わたくしはその声をたしかに知っている。それは、ひとが「わらっちゃいけない、でも、でも、がまんできない」というときにもらす声である。その声がうしろで聞こえた。だがいまは、そんなことを気にしているときじゃない。その件についてはあとで家族のものとじっくり話し合うことにして、とりあえずわたくしはもうすこしテストをつづけることにした。たしかに、こんなときまでフレンドリーとはたしかに、モバイルとはたいしたものである。でもね、これはテストなんだから、そういうときはそんなにフレンドリーになることはないんだよきみ、わかってる? とモバイルにいいきかせてみたところで事態はいっこうにかわらず、リブといれればライブラリー、ワンといれればワンダホー、つぎからつぎへとそのちょうしである。……。この敗北感はいったいなんなんだろう。しばしかんがえこんで、そうしてえた結論は、つまりわたくしの敗因は、じぶんでスマホをもってもいないのにフレンドリーになろうとしたところである。そこに尽きる。ような気がする。つまりこれはわたくしもスマホをもてと。つかえと。そういうことなのか。しかしなあ。わたくし、あれ、だめなんだよ。目がちっかちっかしちゃって。見えないんだよ。もうトシなんだよ。かんべんしてくれよ。と、フレンドリーすぎる単語テストページをまえにしたわたくしの心のなかをさまざまな思いがゆきかったという、うえをしたへのアノテーション。フレンドリーはこりごりだ。


上の文をよく読んだら、次の問いに答えなさい。

問い「けっきょく筆者は何に負けたのか。簡潔に述べよ」

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宇宙戦艦クロネコヤマト

せんじつ家族のものがクロネコヤマトから荷物を送りたいというので営業所までつれていってクルマのなかでまっているときになぜか宇宙戦艦クロネコヤマトというのがうかんできて、さらば~ちきゅうよ~と歌まであたまのなかになりひびいてしまい、イスカンダルまで荷物を届けに行って留守だったら悲しいだろうなあ、不在票をおいて帰るのは残念だよねえとひとりで同情してしまいました。すいません。

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