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July 22, 2006

ちょい悪

けさは目覚まし時計が鳴るまえにひとりで勝手に目をさましてしまい、そのまま起き出してそのへんをうろうろしていた。やがてセットしておいた時間がきて目覚まし時計が鳴り出した。いつもはすぐにおれがとめるのだがきょうは寝床にいなかったのでとめるものがいない。しぶしぶ女房が起きて時計をとめた。わたしはもっと気がすむまで寝ていたいのに。こんな時間に起きたくないのに。でもいつまでたっても鳴りやまないのでしかたなく起きて目覚まし時計をとめた。これはわたしに対するいやがらせなのだろう。そうにちがいない。あなたはいつからそんなちょい悪オヤジになってしまったのか、といわれたのだが、どうもうちの女房は「ちょい悪オヤジ」というものにかんして認識がちょっとまちがってるとおもいました。●きょうのばんごはんはカレーであった。カレーはかなりしょっちゅうつくる。具体的にいうと、「またカレーなの?」と苦情がよせられるぎりぎり一歩手前をみきったあたりの頻度でつくる。カレーそのものは簡単だが、このぎりぎり一歩手前をみきるというのがむずかしい。おれがみずからをカレー名人とジフしている、ここがそのよりどころである。きょうのカレーもまた、いつもとおなじ、なんの変哲もないカレーであった。そして、いつもとおなじ程度にうまかった。そして、「またカレーなのか」という苦情もこなかった。名人芸であろう。ちなみに肉は、豪州から日本向けに輸出された偶蹄類の動物の肉を投入した。かんたんにいうと、オージービーフというやつである。なんか、せんじつたまたま「豪州から日本向けに輸出される偶蹄類の動物の肉及び臓器並びにそれらを原料とするソーセージ、ハム及びベーコン等の肉加工品の家畜衛生条件(仮訳)」という文章を目にして、なんだかご苦労さんな翻訳であるなあ、いろいろとご苦労さんな世界であるなあと感心したのでこれからはおれもたんにオージービーフなどとひとことですませず、豪州から日本向けに輸出された偶蹄類の動物の肉、とよんでいろいろと各方面のご苦労に敬意をひょうしてみることにした。ご苦労さまです。まあまあうまかったです、偶蹄類の動物の肉。●よのなかには有蹄類といういきものがいる。それは偶蹄類と奇蹄類というふうにわけられる。さらにポニー蹄類というのがかつてはいて、おれが高校生のころはしょっちゅうまちなかでみることができて、原宿の歩行者天国で踊りを踊ったりなどしていたのだがいまでは絶滅してしまったようだ。食用とされるのはおもに偶蹄類とポニー蹄類で、どっちがうまいかときかれれば個人的にはポニー蹄類がすきです。いやうそです。くっちゃいかん。

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July 16, 2006

ドイツ人にうまれて

●サッカーのワールドカップでなぜかドイツを応援していて、それはなんでなのかとしみじみかんがえてみると、どうもおれはあの名前がすきだったらしい。そのことにはたと気づいた。カールハインツ・ルムメニッゲ。ハンスペーター・ブリューゲル。カールハインツ・フェルスター。すきだった選手たち、なんでおれはあのひとらがすきだったのかとかんがえてみるに、どうもやっぱりおれは名前からはいっていった気がする。ドイツチームというのはなんかもう、きいただけで血わきニク踊るような名前のオンパレードである。で、今回のドイツ代表はどうかと選手名簿をながめていると、……いた。バスティアン・シュバインシュタイガー。きいただけでもはや勝ったも同然なこの名前。バインにシュをつけてシュバイン、さらにはタイガーにシュまでくっつけて、これでもかとシュバインシュタイガー。これは勝ったろう。優勝まちがいなしだろうシュバインシュタイガアアアっっ。と無意味に確信していたのですがあっけなくイタリアにやられてしまった。どうもなかなかイタリアには勝てんなあ。●それにしてもきょうもほんのちょっぴりだけ暑かったです。神様なにかわたしにうらみでもありますか。ないならいいんですがこれはやはりわたしになにかお伝えになりたいことがあるのでしょうか。と空にむかって問いかけたくなるくらいにちょっとだけ暑かったです。おまけに今夜の夕飯はまた餃子をやいてくったのであった。なんでかというと、きのう餃子のタネはつかいきったのだがこんどは餃子の皮があまってしまったからである。地球に優しい男をジフするおれとしては、食品をむざむざむだにすることなんてできるわけはないので、おまけに冷蔵庫にはニラとかキャベツがまだのこってるし、そんなわけできょうもしこしこと餃子をつくった。皮はぶじつかいきった。しかし、するとなんと、こんどはまた餃子のタネがのこっちまっているではないかっ。あ、あしたもまた餃子なのか。そしてあしたはまた皮があまってしまうのか。餃子無間地獄。しかもまいにちほんのすこしだけ暑い。うう。

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July 15, 2006

ほんじつの日記

●シドバレットがしんだそうです。60歳。もちろん個人的に親交のあったひとじゃないので(あたりまえだ)おれなんかがあれこれいうのもおこがましいですが、月の暗い側の住人として暮らすじんせいっていうのはどうだったんだろうなあとおもいました。たんなる第三者の野次馬的感想として。みんなからそうおもわれて暮らすっていうのはどうなんだろう。ピンクフロイドにはDarkSideOfTheMoonっていう有名なレコードがあって、そのおしまいの二曲の、歌詞のいちばん最後の一行にむかってつきすすんでいくまでの高揚感と、最後の一行がもたらす解放感というのは、ちょっとほかにはない。それは幸運な奇跡とさえいってもいいような、あまりにもすばらしいメドレーであったので、このレコードは発表されたあと十年も二十年もえんえんと売れつづけ、たくさんのひとたちがききつづけた。そうしてあの二曲をきいたひとがおもうのは、やっぱりシドバレットのことを歌った歌なんだろうなあということなわけで、そんなふうに世界的にみんなから「月の暗い側にいっちゃったひと」とおもわれてるっていうのはどうなのかとおもいました。それは失礼ではないのか。かんがえてみれば。それでよかったのかクレイジーダイアモンド。どうだったのかな。ともかくごくろうさまでした。●ぜんぜん話はちがうのだが暑い。レッドカレーペーストがあるのでココナッツミルクをかってきて夕飯にレッドカレーをたべた。さらに前日の餃子のタネがすこし残っていたのでまた餃子をやいていっしょにたべた。ものすごく熱かった。レッドカレーはものすごく辛かった。さらには、煮炊き直後のダイニングキッチンは50度くらいあった気がする。そこでカレーと餃子をくってたら、なんだかうまいはうまいのだが、それよりも「おれはこれまでこんなに汗をかきながらめしをくったことがあっただろうか?」とへんなことにおもいをめぐらす食事になってしまった。●真冬でも掛け布団は一枚で寝ていて、もちろん寒くてふるえながら寝てると女房があきれながら「もう一枚布団をかけたら?」といってくる。「これは修行なんだ」とことわるとわけのわからないかおをする。寒いからといって布団をさらにかける、それは堕落である。寒さに耐え、自然と闘い、そうすることによって精神を鍛錬しているのだ、と説明をすると女房は「勝手に修行してください」とハナでわらってじぶんは電気敷き毛布のスイッチをいれ掛け布団を三枚かけてねいるのであった。そうやって冬を乗り越えたのちにこのくそ暑い夏の夜になって、「そういえば冬は布団をかけないで修行してるんだとかいってたよね? だったら夏は布団をいっぱいかけて修行したりはしないの?」と無情といえばあまりに無情というか、もはや暴力とよんでさしつかえないような言葉をなげかけられた。無理です。ころす気ですか? 暑いのは修行になりません。たんに暑いだけです。おれがわるかったのでゆるしてください。

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July 06, 2006

なぞコーラ

●せんじつしりあいのひとにアメリカみやげでコーヒーコーラというのをもらってしまった。コカコーラとコーヒーを合体させたものだそうである。さいしょ冗談かとおもったが、冗談でもなんでもないらしい。ほんとうにそういうのみものであるらしい。なんでわざわざそんなおぞましい液体化合をするのか。いやおれはコーラもコーヒーも個別にはすきである。コーラなんてここ三ヶ月くらいほとんど毎晩のんでいる(ときどきそういう時期がある)。でもあくまでコーラはコーラであり、コーヒーはコーヒーなんであって、たとえばひとはカレーライスもカツ丼もだいすきだけどだからといってカツ丼にカレーをかけてたべようとはおもわないのと同様に、コーラにコーヒーをまぜてのもうとはおもわない。そんなののむまえからどういうことになっているのか結果はあきらかである。と、こころひそかにそうはおもうものの、さすがにわざわざアメリカくんだりからビンの飲料をもちかえってきたその労力をむげにするわけにもいかないので、いちおう興味がありそうなそぶりをみせると、知人がいうのには「けっこうおいしいらしいよ。あたしは飲んだことないけど」とのことである。「あたしは飲んだことないけど」というのが少々というかかなり気にかかるところではあるが、ともかくもらっちゃったものはしょうがない。覚悟をきめておそるおそるのんでみたところ、あんのじょう「うっ」となってしまった。なんというか、ひさしぶりに嚥下するのに苦労する飲食物というのをくちにしたおもいがしました。「これ、こんでいいのか?」と真剣におもったりしました。やっぱりこの組み合わせというのは、まちがった時間にまちがった場所にいあわせたまちがったふたり、というかんじなんだけど、なんでこんなのをコカコーラ社は商品にしてしまったんだろう? それともこれは合衆国世間一般の味覚では美味ということになるんだろうか。よくわかりません。まあもしかしたらそのうち日本でもうるのかもしれませんので、興味がおありでしたらいちどためしてみてください。いやもしかしたらもううってるのかも。コカコーラブラックっていうのみものです。おれはもういいです。

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そこにだれかいるのか?

●うちのニョーボはテレビだと歌番組がすきみたいで、よくみている。必然的におれもそのかたわらでニッポンの大衆音楽およびその周辺をうごめく舞踊や舞台装置などをみることになる機会がおおいのだが、さいきんどうも気になるのは歌手のかたがたの手のうごきである。手というか指というか、そのへんのうごきなわけですが、あれはなんなんでしょうか。とくに平原綾香というひとのがすごい。手のひらをうねうねとあちらにかざしこちらにかざし、なにか念力とか怨念とかそういうものを全世界にむけて照射してるみたいにもみえる。さらに平原さんのばあいはなぜかときどき、すぐそばにちいさい子供がいて、その子にむかって歌いかけているみたいにみえることがある。そこにだれかいるのか? ほんとにだれかちいさな子供がいるのか? あんたにだけみえている子供がいるのか? と真剣にいぶからざるをえないような迫真の歌いかけぶりである。でもおれがその子供だったらいやだろうなあともおもう。そんな至近距離で平原綾香にめんとむかって歌いかけられたら泣いちゃうよ、とかおもったりする。そんなわけで個人的には彼女はホラー系の歌手に分類されている。オジーオズボーンとかアリスクーパーとかの系統ですね。たいへん余計なおせわですけど。ともかく平原綾香のばあい、おれにとってはその歌っているさいちゅうの一挙手一投足が気になってしまって歌どころではない歌手のひとりである。あとは森山直太朗なんかもテレビでみるともう歌どころではない。あの指がいつ天井をさすのか、その動きをおいかけるのに精一杯で、そのうちだんだん目がまわってきたりする。やっとひっこんでくれてほっとするまもなく、つぎにでてくるのは中島美嘉だったりして、こんなふうに集団ハンドパワーでたたみかけてこられると、こっちも心底つかれる。ジャニーズのひとらがでてくるとかえって一息つけたりする。かれらのばあいは動きは派手だけれどもそれらはすべてあらかじめ決められている振り付けをこなしているだけにすぎないわけで、やってるほうもけっこうテキトーにやってるので(たぶん)、だからこっちもテキトーに見物しててもばちはあたらない気がする。だいたい大衆音楽ってこの「テキトーに見物しててもばちはあたらない」というポジションにおさまっているべきものだとおもうんだけど、そんな弛緩したたるみきった見物というのをだんじてゆるしてくれないのがくだんの平原とか森山とかいった連中であって(だんだん呼び捨て)、わたしは真剣にやっているんだからおまえらも真剣にみろ、と強要されてるような気がしてしかたないのはなぜなのか。ねころがってクチを半開きでながめてるのがだんだん申し訳なくなってくるような、そんな気にさせられるのはなぜなのか。そんでおれもじつは根は素直なたちなので、連中の歌唱時のいれこみぶりについつられて真剣に手の動きだらなんだらを追いかけてしまい、あとになってぐったりと疲れてしまう。かんがえてみるとけっこうハタ迷惑な連中である。そもそもかれらは、いれこみすぎではないのか。たかが歌を歌うというそれだけの行為になんであんなに必死なのか。その必死さをつつみかくすどころか逆にアッピールしようとするのか。単刀直入にいって、おまえら陶酔しすぎじゃないのか。それともこれはおれの気のせいか。気のせいかなあ。わからんけど。なんていうか、単に歌うとか、普通に歌うとか、どちらかというとそういうのがおれはむかしからすきみたいです。せんじつなぜかたまたま、はしだのりひことクライマックスのCDをかって、ああそういえばおれはこういう歌い方をする女の子がすきだったんだよなあとあらためておもったりしました。こういう歌い方の女の子ってあんまり歌手としてデビューしないとおもう。個人的にはたいへん残念なことです。

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