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March 10, 2006

ラブやん

●アフタヌーンを定期購読しだしたのは一年か二年くらいまえのことである。いつから購入しだしたのか、その正確な時期はさだかではない。なぜよみだしたのか、その動機もわすれてしまった。なにもかもおぼえていないのだが、ともかくわたくしはここ一年か二年くらい、せっせと律儀にアフタヌーンをかいつづけ、よみつづけている。ところがせんじつ、いまだに連載作品のストーリーの大半(というかぜんぶ)がさっぱりわかっていないのに気がついてがくぜんとしてしまった。なにをいまさらそんなことに気づいているのかといえば、愛読者プレゼントに応募するためにアンケートにこたえようとして、あのよくある「今月号でいちばんおもしろかった作品を挙げて下さい」という質問にこたえようとして、おもしろかったもへったくれも、どれもこれもさっぱりストーリーがわかっていないのばかりだと気づいちゃったのであった。アフタヌーンとわたくしとの関係はといえば、本屋でアフタヌーンをみつけると購入していえにかえり、フロにはいってるときになんとなくば〜っと全体をながめてよんだような気になって(しかし同時に内容をすべてわすれている)、ひとつきするとまた本屋に最新号がでてるのでかってきてユブネでなんとなくぱ〜っと全体をながめてよんだような気になって(しかしまたしても同時に内容をすべてわすれている)、そしてひとつきするとまた本屋に最新号がでてて、とそのくりかえしなのであった。いったいわたくしはなにがうれしくてこの本をかっているのだろう。われながらよくわからない。でもすくなくとも毎月毎月かいつづけてるんだから愛読者といえるはずだ、ならば愛読者プレゼントに応募する権利はあるはずだとかんがえ、わたくしは巻末の目次をたんねんにおいかけて、いちばんおもしろかった作品を挙げようとした。なんとなく「ラブやん」がおもしろかったような気がしたので、「ラブやんておもしろいよね?」とヨメにたずねてみた。じぶんがおもしろいとおもうものを挙げればいいはずなのに、なぜいちいちヨメにおうかがいをたててしまうのか、そのへんもわたくしにはよくわらかない。とにかくたずねてみると、「ふ〜ん、あれおもしろいんだ?」と気のない返事がかえってきた。
「うん。なんとなくおもしろかったような気がする」
「ふ〜ん」
「ところでラブやんて、なんであの男といつもいっしょにいるんだ?」
「え。そんなこともしらなかったん?」
「うん」
「ラブやんはなあ、天使なんや。そんで、あのロリコンの恋をかなえてやるためにあらわれたんよ」
「えっ? そうだったの?」
な、なんと。そうなのであったか。定期購読して一年か二年してはじめてしるこの驚愕の新事実。そういう話だったのかこれ。というかわたくしはそんな基本的なことさえわかっていなかったのか。と、しょうしょうショックをうけまして、でももしかしたらヨメがわたくしをたばかっているという可能性もぬぐいきれなかったので、ねんのために後日ラブやんの単行本を全巻購入していちからよんでみたら、ほんとにヨメのいうとおりであった。ラブやんはロリコン男の恋を成就させるべくあらわれた愛のキューピッドという設定なのであった。う〜ん。しらなかったよ。お気に入りの作品としてまっさきにあげたのにこのありさまなのであるから、他の作品にたいするわたくしの理解度についてはいまさらクドクドもうしのべる必要はないであろう。そんなわけでわたくしは、いままでアフタヌーンのなにをよんでいたのか、これからさきよみつづけることに意義があるのか、すこしばかりなやまないわけにはいかなかった。そもそもこのていどの理解力で、きょうまでそしてあしたからのわたくしのじんせいになにか意味があるのだろうか、といった方面にまですこしばかりおもいをよせてしまった。こんな愛読者ですいません。愛読者とはいわないのでしょうか。しりませんが、愛読者プレゼントはほしいです。もし当選したらちゃんと送ってください。第一希望はDVDプレイヤーです。

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March 08, 2006

地図

●道順をしめす地図を描くというのはあれは一種の才能で、おれのばあいはその才能がかなり欠如しているので、上手に地図を描くひとがいるとひたすら感心する。とうにんにとってはどうってことないことなんだろうけど、それができないにんげんにとっては奇跡をみせられてるみたいな気もちになる。おれのまわりにも地図のじょうずなひとは何人かいて、とくに会社の先輩にものすごくうまいひとがいる。はじめてそのひとに地図を描いてもらったのは30キロくらい離れたところにある取引先のところへいく道順なんだけど、みていてびっくりした。「まずここがウチの会社でな、この道にでてしばらくいくと…」というかんじで説明をしながら要所要所の目印ポイントを的確にかきこみ、きっちりと一枚の紙のなかに完璧な地図を描いていく。そしてじっさいにでかけてみたらまったくそのとおりで、いかにボンクラなおれでも間違えようのない地図だったので、しまいには感動するくらいだった。このひとはふだんからしょっちゅうその場所にいってるわけではなくて、むしろほとんどいったことがないはずなのに、方角とか距離というものを完全に把握していて、しかも適切な目印ポイントをすべて記憶していて、さらにはそれをはかったかのように正確に一枚の紙にすらすらとかきこんでみせる。「ここはさいしょ3車線なんだけどな、2キロくらいいくと2車線になるから、そうしたら右側によっといて、3つめの信号に片町っていう案内標識がでてるから、そこで右にまがって…」というかんじで、地名とか目印をかきこみながら目的地までの線をつなげていく。まるでなにかの芸をみているようだった。すごいひとがいるものである。すごくないのかな。これがふつうなのだろうか。でもおれにとってはかなりすごい。かとおもうとそのいっぽうで、そういう才能をまったくもたずにうまれてきてしまったひともいる。大量にいる。やっぱり会社の話なんだけど、クルマ通勤のひとは一年にいちど自宅から会社までの通勤の経路について地図を描かせられる。いぜん100人ぶんくらいのこの地図をみたことがあったのだが、なかにはとんでもない地図がある。よくある悲しいパターンというのは、紙がとちゅうで足りなくなってしまうというやつである。さいしょ威勢よく自宅をとびだしてみたのはいいだのが、とちゅうでこのペースで描いていると紙が足りなくなるのにはっと気づいたらしく、だんだんとちいさくなっていく。そのひっぱくした精神的動揺がひしひしとつたわってくる、どこかみるものを不安にさせる地図である。さらには「竜頭蛇尾」という言葉があたまをよぎったりもする。そういう地図はけっこうあって、さいしょにちゃんと計算して描きはじめましょうね、ということである。あんまりこういうひとに重要な仕事はまかせないほうがいいかもな、と余計なことまでかんがえてしまったりする。あとあきらかに方角がおかしいものもある。いちおう地元のことなので住所をみればおれもあるていどはわかるので、それはどうみても方角的にまちがっているだろうという地図があったりする。このへんは海とか山とかがないので、ちょっとぼんやりしてるとすぐに方角がわからなくなってしまうというめんはあるのだが、それにしたっておまえ、そっちむいてはしってたらそこにいくわけないだろう、という地図があって、たぶんこのひとはふだんからしょっちゅう道にまよっているんだろうなとおもう。おつかれさまです。いきおいあまって路頭にまよわないことをいのります。でも、そのへんまではまあいちおう常識の範囲内というか、まだ地図としての体裁はどうにかたもっているんだけど、なかにはやっぱり突拍子のないのもあって、たとえば目印がなにひとつなかったりすると地図としてのインパクトは飛躍的に増加する。ふつう地図というのは交差点とかのカドには目印になるコンビニをかきこんだりとか、川を渡るなら橋をかいたりとかするものだけど、そういうのがいっさいない。しかもなぜかやたらと道は大量にかきこまれていて、ようするにタテ線が十本くらい、ヨコ線が十本くらいひいてあって、左上に自宅、右下に会社、あとはあみだくじみたいに自宅から会社までの経路をうねうねとむすんで、それでことたれりとしている地図がある。地図というよりむしろ模様というかんじである。なんだかみようによっては現代アートみたいにもみえる。アートとしてならいいのかもしれませんが、地図としては最低です。断言します。この地図で目的地に到達できるひとはどこにもいません。まちがいなく道に迷います。道にたおれて誰かの名をよびつづけたことがありますか。ありませんか。どうでもいいですが、そのへんちょっとかんがえてみてくださいね。そう説教したくなってしまうような地図である。でも、それはまだましで、おれがいちばんびっくりしたのはたんに一筆書きで自宅から会社までの道をかきこんだ作品である。二十歳くらいの女の子の地図なんだけど、さすがにこれは爆笑しないわけにはいかなかった。とうぜん目印なんかもなくて、ただうねうねと一本の線がのたくってるだけなんである。ここにそのまま転載できればいいんだけどさすがにそれは無理なので、いちおう「こんなかんじだった」というのを再現してみよう。
map
誇張でもなんでもなくて、ほんとにこんなんである。なんというか、ちょっと愛しくさえなってしまうような地図なのであった。十人十色。ていうか、女の子ってほんと、なにをかんがえていきてるんだろうね。ときどきおれはしんからそうおもう。

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March 07, 2006

山、山にあらず

●いがいとさいきんまでしらなかったのだが、どうも成田山というのは山ではないらしい。ギリのおねえさんをクルマにのせて成田市内をはしっていたらちょうど成田山がみえたので、「あれが成田山だよ」とおしえるとおねえさんは「え?」と意外そうなかおをする。そんで、しばらくそっちのほうをながめたのち「成田山て山かとおもったらそうじゃないんだねえ」といいだした。これにはおれもおどろいて、なにしろ成田山といえば山以外のなにものでもないとしんじこんでいたからおどろいて「あれが山でなければなんなんだ」とたずねると、おねえさんはすこしかんがえて「ん〜。…オカ?」という。オカ? あれはオカなの? 山じゃないの? とたずねるとおねえさんはわらいながら「あんなのを山っていうのはこのへんのひとたちだけよ〜」とのことである。う〜む。そういうモノであったか。どうもむかしからおれは「○○なのはおまえだけだ」みたいないいかたをされるとすごく弱くて、そっちが少数派でこっちが多数派だというふうにいわれるとすぐに降参してしまう。は〜。あれは山ではなくオカであるのか。全国的には。は〜、いやいや、これは勉強になりましたと感心しているとさらにおねえさんは「あとさあ、このへんのひとって木がまとまってはえてるところを山っていうよねえ」という。もちろんだ。木がはえてるところは山だ。そんなのきまってるじゃないか、といおうとして悪い予感がしたので「もしかしてあれは山っていわないの?」とおそるおそるたずねるとおねえさんは「いわないよ〜」とわらった。「じゃそういうのはなんていうんだ?」ときくと「ん〜。…ハヤシ?」とのことである。は〜。あれはハヤシというものでありましたか。は〜。ちょっと心配になってきたのでさらに「もしかして筑波山は、あれは山ではないのだろうか」とたずねると「ん〜。…あれはギリギリ山っていってもいいかな」とのことでした。なんと。筑波山はギリギリ山でしたか。そしてあなたはギリの姉ですか。関係ないけど。ともかく筑波山といえば富士山につぐぐらいの巨峰かとおもっていましたが、あれはギリギリですか。は〜。地理学はむずかしいものがあります。そんで、あまりにもむずかしいので、おもわずネットで調べてみた。いったい山とはなんなのか、その定義とはいかなるものであるのか、調べてみた。グーグルにいってさいしょ「山 定義」とうちこんだらどうも世の中には「定義山」というのがあるらしくてその話ばかりなので(ハタ迷惑な山である)、「山 定義 国土地理院」とやってみたらこんなのがみつかった。

山とは、地表面が高く大きく盛り上がったものと考え、眺めた感じで一つの山の範囲を定める。山には一つの頂上に斜面が集まる単純なものあれば、複数の峰、複数の頂上を持ち全体の総称としての山名と部分的な峰や山頂部に別の山名を持つものもある。 [国土地理院:日本の山岳標高一覧 1003山 日本地図センター 1991 p125]

…だそうです。意味わかりますか? ごめんなさい、おれにはいまひとつよくわかりません。三度ほどよみかえしましたがわかりません。わからんのですが、たいへん気になるのは「眺めた感じで」というところです。眺めた感じ? なんだそれ。いっちゃわるいけど、もしかして、これかいてるひともわかってないんじゃないのか? どのへんまでがひらべったくて、どのへんから山なのか、国土地理院もわかってないんじゃないのか? そういう気がすごくする。なんかもっとこう、それらしい学術専門用語をハシバシにちりばめつつ、びしっと「海抜○○メートル以上が山っ」とかいいきってくれたらこっちも「はは〜ありがとうございます」と土下座して納得できるんだけど、内心そういうのを期待してたんだけど、どうもそういうハッタリかましてくれる山の定義というのは国土地理院にはないらしい。かといって、国土地理院になかったらほかのどこにもないよなあ。つまり山ってけっきょく、なんかもうテキトーなんじゃん。山、テキトー。なんとなくみた感じ山だったらもう山なんだそうです。なんだよ。じゃあ木ぃはえてたら山でいいんじゃん。だってこのへんのひとみんなアレのこと山っていってるよ? 山だよ山。木ぃはえてたら山。だってみた感じ山だもん。ヤマヤマ。国土地理院がそういうんだからヤマ。と、こんどおねえさんにあったらそう主張しようとおもいました。

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