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November 30, 2005

ハッコー

sideA
「さ、きこう。いったい、相談ていうのはなんだい?」
会社のミーティングルームでおれは吉村とふたりきり、パイプ椅子に腰掛けていた。吉村というのはおれよりふたまわり半くらい若い、二十代なかばの男で、仕事のめんではまあまずまずの有望株である。おそろしくマジメなのがとりえで、人事考課のときはそのへんを長所としてコメントしてやるんだけど、ほんねをいわせてもらえるならじつはそこが欠点だったりする。
「あの、僕の妻のことなんですが」
吉村は遠慮がちにきりだしてきた。なるほどそうきたか。そういえば半年ほどまえに吉村は結婚をしたのだが、そのときのナコードをおれがしたのであった。たしかに職場の上司はおれなわけだが、だからといっておれみたいなにんげんに律儀にナコードをもちかけてしまうあたりがこの男の欠点としかいいようのないマジメさである。そいで夫婦の仲がこじれたからといってナコードに相談しにきちゃうあたりがもう、迷惑とさえいっていいマジメさである。
「ああ、奥さんか。そういえば元気でやってる?」
「はあ、それはおかげさまで、健康でいるんですが」
「それはよかった、うんうん。それで?」
「じつはですね、僕の妻は、ハッコーなんです」
「ハッコー?」
「はい。ハッコー」
「ハッコーってなんだ?」
「ハッコーというのは、つまり、サチが薄いという、あの…」
「あ? ああ、薄幸か。はいはい、あれね、あの薄幸ね。…ハウっ」
もしかしてこいつ、じぶんのヨメさんが薄幸で、それでなやんでるんだなんていいいだすんじぇねえだろうなとおもったらふきだしそうになり、それをこらえようとして腹筋に強力なダメージをうけてしまった。ともかくふきだしそうだったのはごまかさなくちゃならないので、おれはあしをくみかえて、椅子にすわりなおすそぶりをした。
「はい。その薄幸で、ひとからそんなことをいわれたりもして、ええ、カワシマの奴とかが冗談半分でいうんですよ、あの薄幸そうな奥さんとか、しょっちゅういわれてて、さいしょは気にしてなかったんですけど、なんども繰り返しいわれてるうちにだんだんとそうなのかなあって、僕もそういう気がしてきて、いえ、それを理由にわかれようとかいうつもりはないんです、もちろんそんなつもりはないんですけど、でも、僕にはどうも妻をしあわせにしてやれることができないんじゃないかと。だって、薄幸なんですよ? それってもう、運命じゃないですか。運命なんて、僕には変えられないじゃないですか。はい。それが悩みなんです。せっかく仲人までしていただいたのに、こんな話で申し訳ないです。ただ、やっぱり薄幸な女っていうのは結局、どんなことをしたってしあわせにはなれないってことで、僕なんかどうがんばっても…」
うわ〜、こいつほんとにいいだしちゃったよ。ほんとにヨメさんが薄幸っぽいのが悩みだとかいってるよ。うわ〜。「仕事むいてない」だの「ヤクザのクルマと事故った」だの「あのひとはいつもアタシをいじめる」だのなんだのかんだの、おれもそれなりにいろいろとばからしいのや深刻なのや困っちゃうようなのや、相談事っていうやつはうんざりするくらいきいてきたけど、こんなあほらしいのははじめてだな。どうみたってそれ、悩みじゃないだろ。どうころんだってそれ、わらえる方向にしかいかないだろ。だったらあそんじゃうか。どうやってあそぼうか。しかしなんでこいつもこんなわけわかんねえことぐだぐだいいだすのかなあ。ヨメさんが薄幸? そんな薄幸っぽかったか? まあいわれてみると線のほそいかんじではあったけど。けっこう美人だったよな。まあトシとるとたいていのおねえちゃんは美人にみえちゃうけど、それをさっぴいてもけっこう美人だった。こいつの結婚式のときはけっこううらやましかったもんな。いいなあ、おれもいっかいこの子とやらしてもらいてえなあとか、ナコード席でヨメさんをチラ見してたらボッキしてきちゃってあのときはあせったもんなあ。あんまりナコードってそういうことしねえよなあ。花嫁みてボッキしちゃっちゃまずいよなあ。でもしちゃうもんはしちゃうわけで、それはしょうがない。だいたい、そういうにんげんにナコードの話をもちかけてくるほうがわるいんだよ。ふつう、おもうだろ。ふだんのおれのオコナイをみてれば、おれにナコードさしちゃいけないって、それはふつうおもうだろ。どうもそういうところがこの男はピントがずれてるっつうか、なんでも杓子定規にしかかんがえられなくて、ナコードといえば会社の上司とか、そんなふうにしかおもいつけないんだろうなあ。だって、おまえ、ほかのやつはだれにもおれのところにそんな話もってこないだろ? こんだけひとがいて、半年おきくらいにだれか結婚式やってんのに、だ〜れもおれのところにそんな話はもってこないだろ? それはなんでなのか、ちょっとはかんがえてみろっつうの。わかってるのかなあ。わかってないだろうなあ。こいつは一生そういうのってわかんないんだろうなあ。こういうのって、ぎゃくにしあわせだよなあ、と話をききながしながら、ぼんやりとおれはおもった。

sideB
「さ、きこう。いったい、相談ていうのはなんだい?」
会社のミーティングルームで僕は太田課長とふたりきり、パイプ椅子に腰掛けていた。太田課長というのは僕よりふたまわり半くらい年上の、四十代前半の男で、僕がこの会社で唯一信頼している上司だ。このひとは仕事でもなんでも遊び半分どころか、遊び十割でやっていて、最初はなんでこんなひとが課長なのかと不思議だったのだが、やがて「このひとは凄い」と思うようになった。結果を出せるひとなのだ。それも、僕なんかでは絶対に残せなかっただろうすばらしい成果を、結果的に残せるひとなのだ。それはこのひとの発想の原点が、そもそも「遊び」というところからはじまっているからなのだ、と気づいたとき、僕は自然に課長を尊敬するようになった。もうひとつ、課長には僕にはない長所があって、それは「面倒見がいい」というところだ。それで僕の職場では僕のほかにも課長を慕っているひとは多い。
「あの、僕の妻のことなんですが」
僕は遠慮がちにきりだした。半年ほどまえに僕は妻のあられと結婚した。そのとき僕は仲人を課長にお願いした。人間的に信頼をし、尊敬もしている上司なのだから、仲人をお願いするとしたら僕にはこのひとしかいない。課長はこころよく僕の願いをききいれてくれ、無事に結婚式をあげることができた。あのときはこんなことになるなんて思いもよらないことだったが、このひとに頼んでおいたおかげで、こうやって妻に関する悩み事の相談を持ちかけることができる。そういう意味でもあのときの僕の判断は正しかった。
「ああ、奥さんか。そういえば元気でやってる?」
「はあ、それはおかげさまで、健康でいるんですが」
「それはよかった、うんうん。それで?」
「じつはですね、僕の妻は、ハッコーなんです」
「ハッコー?」
「はい。ハッコー」
「ハッコーってなんだ?」
「ハッコーというのは、つまり、サチが薄いという、あの…」
「あ? ああ、薄幸か。はいはい、あれね、あの薄幸ね。…ほう」
課長はそこで足を組み替えて僕のほうに身を乗り出してきた。真剣に話を聞こうとしてくれている姿勢になっているのがひしひしと伝わってきた。
「はい。その薄幸で、ひとからそんなことをいわれたりもして、ええ、カワシマの奴とかが冗談半分でいうんですよ、あの薄幸そうな奥さんとか、しょっちゅういわれてて、さいしょは気にしてなかったんですけど、なんども繰り返しいわれてるうちにだんだんとそうなのかなあって、僕もそういう気がしてきて、いえ、それを理由にわかれようとかいうつもりはないんです、もちろんそんなつもりはないんですけど、でも、僕にはどうも妻をしあわせにしてやれることができないんじゃないかと。だって、薄幸な女なんですよ? それってもう、運命じゃないですか。運命なんて、僕には変えられないじゃないですか。はい。それが悩みなんです。せっかく仲人までしていただいたのに、こんな話で申し訳ないです。ただ、やっぱり薄幸な女っていうのは結局、どんなことをしたってしあわせにはなれないってことで、僕なんかどうがんばっても…」
僕が話をしているあいだ、課長はただだまって聞いているだけだった。課長の瞳がめまぐるしく動いて、僕の話からなんとかして解決の糸口をみつけようとしているか、それができなくてもどういうアドバイスをしたらいいのか、考えだそうとしてくれているみたいだった。課長は、そういうひとだ。課長の瞳のなかには熱意があった。その熱意に導かれるようにして、僕は洗いざらいぶちまけた。そうやってしゃべっているだけで、悩みごとが浄化されていくようだった。やっぱりこのひとに相談をしてよかった、と僕は思った。なんでも親身になってきいてくれる、こういうひとが身近にいるというのは、しあわせなことだよなあ、と僕は話をつづけながら、こころのどこかでぼんやりと思った。

●ゆうがたクルマに乗ろうとしたら、後部バンパーのうえに枯葉が一枚たたずんでいました。なかなか見事なバランスだったのでおもわず撮影。11300003

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