パチスロというのもおなじ店にかよっているとかおみしりができる。おたがいになまえはしらない。ふだんなにをしているひとなのかもしらない。でも、かおだけはしっていて、隣りにすわれば世間話をしたりもする。きっかけは簡単で、たとえば依存症の、パチスロ屋にいりびたっているおばちゃんの隣りで打っていたとする。おばちゃんにボーナスがはいる。でも目押しができなくてボーナス絵柄がそろえられず、たのまれてかわりにそろえてあげる。おばちゃんはおれいに缶コーヒーをおごってくれる。「きょうは全然だめでねえ、もうここまでで5マンもやられててねえ、やんなっちゃったわよう」「そりゃたいへんだ。ずっとこの台やってんの?」会話がはじまって、小一時間も隣同士で話をしながら打ってしまえばもうかおみしりだ。つぎからは店でかおをあわせれば挨拶をする。「きょうはどう?」「だめだなあ。そっちは調子いいみたいじゃない」「たまにはね。勝たしてもらわないと」簡単な会話もかわす。そういうしりあいがすこしずつふえて、気がつけばけっこういて、そのなかに女の子がひとりいる。二十代のなかばくらいの、まちなかでみかけたらたぶんふつうの女の子なんだけど、パチスロ屋でみかけるとすこしめずらしいのは、髪を染めていないのと、なぜかちゃんとした格好をしていることだ。銀座に買い物にきた女の子のしている格好と、柏に買い物にきた女の子のしている格好の、ちょうど中間あたりに位置する格好で、パチスロ屋ではじつは、ばかげた格好をした女の子のほうがおおいくらいなので、彼女みたいに、ふつうにちゃんとした、いやみにならない程度のおしゃれをしている女の子というのはあんまりいない。彼女は、仲がいいというわけじゃないんだけど目があえば挨拶をするし、隣りで打っていればすこしは世間話をするくらいの、パチスロ店内におけるふつうのかおみしりのひとりだ。しばらくまえに、その女の子の隣りで打つことがあって、いぜん彼女はいつも男の子(という言い方はおかしいかもしれないけど、二十代半ばくらいの、やっぱりおれにとっては「男の子」です)と連れだってきていたのだが、さいきんその男の子といっしょにいなくて、ひとりで店にきてひとりで打ってひとりでかえっていくようなので、ふとそのことをたずねてみた。
「ところでさいきん、いつもいっしょにいたおにいちゃん来てないけど、どうしたの?」
彼女はそこでとたんにスロットを打つのをやめてしまったので、それでどうもおれはまずいことをきいてしまったらしい、と気がついた。ふんではいけない場所をふんでしまったのだ。そのせいで彼女のなかでなにかがゆがんで、それにつられて彼女のまわりの空気がかたまってるみたいだった。
「わたし、ふられちゃったんです」と彼女がいった。落ち込んでるようすはない。ふつうの、はっきりとした口調だった。でも、そのせいでかえって彼女が深く傷ついてるのがわかるような気がした。そのまま彼女はスロットを打つ手をとめて、じっとすわったままでいるので、おれも打つのをやめた。
「ん〜。あ〜。…。ええとあの〜、よかったらあの〜、話をきこうか?」
いきがかり上しょうがないので、かなり弱腰な姿勢ではあるが、ともかくそう提案してみた。ほんのすこし間があいて、たぶん彼女はまよっていたのだろう。やがておれのほうをみた。ちいさい動物がおおきいいきものの目をのぞくときみたいに、相手の目のなかに敵意とか悪意とか怒りとかそういう邪悪なものがまじってないか確認するみたいな目つきでしばらくおれをみつめて、やがてちいさくうなずいた。おれたちはスロットのシマからははなれたところにある休憩コーナーへ移動して、テーブルをはさんでむかいあってすわった。ここでならふつうに会話ができる。スロットというのはかなりうるさいものなので、台をまえにして話をするときは大声をだすか耳のそばにくちを近づけて話すかせねばならず、それなりに消耗するし、それに、大声でわめきあうには、このときの話題はデリケートすぎる。おれはかたわらにある自販機で紙コップの紅茶をかって、彼女にすすめた。彼女はひとくちだけそれにくちをつけたが、じっさいに液体がのどの奥にながしこまれたようにはみえなかった。それから紙コップを目のたかさに持ち上げて、それをみつめていた。
「あのおにいちゃんは、彼氏だったの?」
彼女が話しだすきっかけをつくるために、おれはそうたずねてみた。そもそもおれは彼女とその男の子がどういう関係なのかもしらかった。
「つきあってもう、八年だったんです」と彼女がこたえたので、
「へええ」とおれは感心した。ほんとうにつきあってたのかあ、という感心がほとんどだった。そのおにいちゃんというのは、メガネをかけていて、デブというほどじゃないけどすこしふとっていて、それも精神のだらしなさが身体にあらわれていでてしまったというみたいなふとりかたで、顔だってむくんでるし、髪の毛もとかしたことなんてないような感じで(じっさいそうだとおもう)、さらにおどろいたことにはいつみてもおなじ格好をしていて、それもケイパだかアディダスだかそのまがいものだかはよくおぼえてないけどとにかく白黒のスポーツウェアの上下というスタイルで、あしはハダシにはきふるした健康サンダルだし、ときどき靴下をはいてることもあったけどでもやっぱり健康サンダルだし、それよりなによりもう全体的にくさいし、くさくてかなわんのだし、そういうおにいちゃんが彼女みたいなふつうにこぎれいな女の子といっしょにいるのはけっこう目立つことだったので「あのふたりは恋人どうしなのかなあ、いやさすがにそれはないよなあ、でもなんでいつもいっしょなのかなあ、まさかケッコンしてたりするのかなあ、いやいくらなんでもそれはないよなあ、でもなんでいつもいっしょにいるのかなあ」とひそかにまえまえからおれは疑問におもっていたのだが、ここでこうして彼女からきっぱりと「つきあっていた」ときかされて、おもわず感心してしまったのだった。よのなかにはときどき釣り合いのとれていないカップルというのがいて、ものすごくきれいな女の子とどうってことのない男の子が親密そうにしているのをみると「彼女はこの男のどこがいいんだろう」とおもってしまったりすることがあるが、これはそのメジャーリーグクラスのパターンであるらしい。男女の仲はわからないというか、ひとの好みというのはそれぞれというか、人間の多様性というのはおれの貧弱な想像力をいつだってはるかに超えている。超えているけど、それにしたってこれは超えすぎで、「あのおにいちゃんのどこがいいの?」と、とっさにおれはこのことを彼女にたずねたくなったのだが、いきなりそれは失礼なのでこの件については控えておくことにして、とりあえず、
「原因はなんなの?」と、これはつまり別れた原因はなんなの、という意味なわけだが、この点をたずねてみた。
「わたしより夢夢のほうがすきなんだって。そういわれました。だから、もう、つきあえないって」
「夢夢? 夢夢って、アレ? あの夢夢?」おれがスロットを打つまねをすると、彼女はうなずういた。
「そう。あの夢夢です」
「よくわからないんだけど、夢夢がすきだとどうしてつきあえないの? おかしくない?」
「だって、そういわれたんです。夢夢のほうがすきだから、もうおわりにしようって」
「いや、だって、そんな…」
「わたし、夢夢に負けちゃったんです」
「負けたって、いや、ちょっとまってよ、え…?」
夢夢というのは緑色の髪をした女の子のキャラクターで、それをモチーフにしたパチスロがある。もともとはたぶんパチンコのキャラクターで、かなりいぜんからあって、根強い人気があるみたいで、いまだに現行機にもちいられている。その夢夢に彼女はどうも、負けてしまったらしい。なるほど、事情はおおむねわかった。けれども、理解はできない。「わかったけれども理解はできない」というのは文章としておかしいかもしれない。でも、まったくおれはそういう気分だった。「ほかにすきな女の子がる。だからおまえとはつきあえない」とつたえてくるのは、男女の道をゆくものとして、その歩き方は正しい。でも、歩き方が正しくても、道そのものがまちがっている。根本的にまちがってる。夢夢ってだって、パチスロだよ? スロットなんだよ? なんだよそれ。おかしいだろ。オカ・スィ〜だろ。こういうたとえはしちゃいかんのかもしれないが、雑誌に掲載されているどこかのおいしいとんかつ屋のとんかつの写真と、近所のとんかつ屋で注文してでてきた本物のとんかつと、たしかにおなじとんかつではあるけれどそれは比べるものじゃないだろ? それはそれ、これはこれで、べつなものだろ? だってそれはおなじとんかつであるようにみえて、じっさいは紙とたべものなわけで、比べることはできないだろ? どんなにおいしそうにみえたって、紙に印刷されたとんかつはけっきょくは紙にしかすぎなくて、たべることはできないんだから、比べたってしょうがじゃないか。そういうところは混同しちゃいけない。そうおもわないか? だいたいそもそもあの男の子は、この女の子の価値がわかってるんだろうか。あのメガネの白デブは、じぶんがやらかしてしまったコトの重大さがわかっているのか。このもったいなさを自覚しているのか。おまえ、このさきおまえに好意をいだいてくれる奇特な女の子がほかにあらわれるとおもってるのか。おまけにかんがえてみれば、この女の子だってちょっとおかしくて、彼女にしたって自分の値打ちがぜんぜんわかっていない。パチスロのキャラクターに負けたって落ち込むいぜんに、パチスロと比較されること自体がおかしいことに気づくべきじゃないのか。そんなおかしな比較をする男のなにがいいのか。あの男のどこがいいんだ? ねえ、アレのどこがいいの? なにをどうみまちがえればあのメガネ白デブジャージのキモオタをすきになることができるというの? ねえ? おれにはわからないよ。さっぱりわからない。なにもかもわからない。ぜんぜんわからない。あまりにわからなさすぎてどうも思考がどうどうめぐりしがちなのだが、まとめてみるとおれのわからないことというのは、
●なんであの白デブは自分に好意をいだいてくれてるふつうの現実のかなり奇特な女の子よりもパチスロのキャラのほうがいいというのか
●なんでこの女の子はそんなふざけた男がすきなのか
というこの2点に集約されるわけだが、どっちもわけがわからなくて、わからないのだからおれには彼女に対してどういうアドバイスをするべきなのか、どんな言葉をかけてやるべきなのか、ちっともおもいつかず、ただそれよりも、人類のふしぎさに感極まって沈黙をせざるをえないのだった。そんなふうにおれがなかばあっけにとられてだまりこんでいると、そのかんえんえんとなにかをおもいつめていた彼女の目からするる〜っと涙がひとしずくこぼれた。それはほんの一瞬のできごとだった。みるみるうちに彼女の目がうるんで、だれにもかえることのできない運命みたいに涙があふれた。これにはおれもあわててしまい、「うげっ」と悲鳴をもらしてたちあがり、消費者金融の広告のついたポケットティッシュをわたしたり、紅茶をすすめてみたり、なんだりかんだり、彼女の前後左右でアタフタとおれはいったいなにをやっているのか状態になってしまった。なにをやっているのかはよくわからないが、とにかくこれは非常にまずいことなので、彼女にはいますぐただちに、それが無理でも一秒でもはやく泣きやんでもらわなくてはならない。なにしろこれはハタからみたらあらぬ誤解をうけるのはまちがいのない光景なわけで、たまたま会社の同僚がこの場面を目にして翌日の我が社におけるホットな話題になったりだとか、それがめぐりめぐってニョーボのミミにはいってしまったりだとか、想像するだけでめまいがするような危機的状況なわけで、しかもそれは悲観的観測というわけでもなくて、可能性としてじつにおおいにありうるわけで、いっそ彼女をほったらかしにしてこの場から逃走をくわだてようかともおもうのだが、そういうわけにもいかないのが義理と人情の世界なわけで、遠くのほうで銭形の3G連BIGがかかって「男〜の美学ぅ〜〜」と高らかに歌ごえのひびくパチスロ屋の店内でおれは彼女をなだめすかしつづけた。ひとしきり涙をながすと彼女も気がすんだようで、やがて泣きやんだのだが、もうすっかりパチスロを打つ気分ではなくなってしまったらしく、「ごめんなさい。わたし、きょうはもうかえります。わたしの台のコイン、ちょっとだけどあれ、つかっちゃってください」と宣言をしてたちあがり、おじぎをしておれにほほえんだ。正確には、ほほえもうとした。ところがそのとちゅうで「うっ」とつまった表情になり、またしてもみるみるうちに目に涙がたまってきて、それをこらえながら彼女は店の外へはしりさった。なんだかドラマみたいなことをする女の子だなあ、と取り残されたおれはおもった。どうも想像力や理解力を超える話をきかされて、なんだか毒気をぬかれてしまって、いつのまにやらおれまでが勝負をする気分にはなれなくなっていて、あのおにいちゃんのどこがいいのかなあ、それにしてももったいないよなあ、モノの値打ちがわからないやつだなあ、あんなやつのどこがいいのかなあ、いやそれにしてももったいないよなあ、とそんなことをぐるぐるとかんがえながら上の空でスロットを打っていたらそのあと5マン負けた。どうもパチスロ屋ではあんまりたちいった話はするもんじゃないね、というのがこの日おれがえたささやかな教訓だ。
●人間性バトン。
1)回してくれた方(下条さん…どうでもいいけどリンクなんてひさしぶりに貼ったからこれでやりかたあってるのかな。心配だ)の印象をどうぞ
駄目で怠け者で嫌な正確で内弁慶で博識を気取る馬鹿。あと酔っぱらうと暴言。つぎの日に謝罪。酔暴翌謝。下条さんをあらわす四文字熟語。…あわわわ。いやもちろん冗談です。えと、たぶんご本人はもううんざりするほど多くのひとからいわれてるだろうけど、「ものしりなひとだ」とおれもおもいます。いや、ものしりなんて言葉じゃないな。なんかもっとこう、その手の高級な言葉。おもいつかないのでごめんなさい。とにかくなにしろあの知識量と記憶力はすごいとしかいいようがないです。記憶力がいいひとってじつは意外とアレだったりして、つまり知識や記憶に頼ってしまうのでじぶんで考えつこうとするのをおこたってるうちにアレになっちゃってたりするんだけど、下条さんのばあいはちゃんとあたまもいいところがそんけ〜です。ただ……
2)周りから見た自分はどんな子だと思われていますか?5つ述べてください。
…子? どんな子? ……。ええと、子だとおれのことを思ってくれているひとは両親とか親戚のじ〜とかば〜とか、いや、もう連中もおれのことは「子」だとはおもっていないかもしれなくて、つまりだれからもたぶん「オヤジ」だと思われてるので、どんな子もへったくれもないです。話はちがいますがさっきブックオフにいったんだけど、ブックオフにいくといつもおもうんだけど、店員さんが「いらっしゃいませええええええこんばんわあああああああ」ってこえをかけてくる、あの発音てヘンじゃないですか? いくたびにけっこう気になるんだけど。それともあのヘンないいかたをしてるのはおれのまちのブックオフだけ? ヘンていうのはこう、うまくいえないですが、まず「いらっしゃいませえええええ」っていうときにちいさいところからだんだんおおきくなっていってさいごは最大音量にもっていくみたいな、アンプのボリュームをミニマムからマキシマムにあげていくみたいないいかたをして、つぎの「こんばんわああああああああああ」はそのマキシマムのところからはじめて「ああああああああああ」のところでぎゃくにボリュームをしぼっていって最後はゼロにしておわるみたいな、そんなかんじなんですけど。ここ茨城県某市のブックオフではそのようなブキミな挨拶のこえが入店とどうじにほぼすべての店員さん(男女あわせて五人くらいいる)からかけられて、なにか宗教的体験をしているような気分になりますけれどもみなさんのまちのブックオフはどうでしょうか。どうでもいいんですけどでもけっこう気になります。あのいいかたはだれの発明なのか。どんな歴史があるのか。なんていうか、あのひとたちに萩原朔太郎の詩の朗読をしてもらったらけっこうはまる気がします。というわけでとつぜんですがここで萩原朔太郎「青猫」から「遺傳」を無断転載(一部)。
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遺傳
人家は地面にへたばつて
おほきな蜘蛛のやうに眠つてゐる。
さびしいまつ暗な自然の中で
動物は恐れにふるへ
なにかの夢魔におびやかされ
かなしく青ざめて吠えてゐます。
のをあある とをあある やわあ
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うおおお。そうおもって意識してみるとたしかにブックオフテイストだぜ。そうおもいませんか。とくにこの、「のをあある とをあある やわあああああああああああああ」のところなんてもう、ブックオフとしかいいようがない。ぜひあそこの店員さんに朗読してもらいたいです。
3)自分の好きな人間性について5つ述べてください。
人間性。人間性ってなんだろう。いやほんとにちょっと、よくわかってません。性格とか性向とか性癖とかいわれるとなんとなくわかるんだけど、「人間性について」とかいわれちゃうと、意味がよくわかってないのでうまくこたえられません。人間性をあらわす言葉ってなんだ? そもそも人間性って、なんだ? ぜんぜん関係ないですがこのブログからいつのまにかじぶんのメールアドレスが消えてることが判明しましたので、いちおうこれをつけておくことにしました。
4)では反対に嫌いなタイプは?
タイプ。なんでさっきは「人間性」だったのにこんどは「タイプ」になっちゃうの? 関係ないけどあと、プロフィールのところもすこしかえてみました。どうかえたかというと、こういう言葉にかえました。
「別にいいのだけど、この人って幸せなのかしらね?」
この、だれの心にも突き刺さる名言は、大坪五郎さんの「大坪家の書庫」というサイトで発表された「カレーへの道」と題された一連の文章のなかの「キュアメイドカフェのチャンピョンカツカレー(2004/9/26)」という項で、大坪さんの奥様がはからずも、そう、まさに「はからずも」もらしたとされる至言です。じっさい、わたしはこれ以上ふかく心をえぐられた言葉をネットじんせいにおいてかつてみたことはないといったら過言です。なんじゃそりゃ。ともかく、じつに味わいぶかいこの言葉をほんじついきなりおもいだしてしまったので無断借用いたしました。
5)自分がこうなりたいと思う理想像とかありますか?
まあそんなのはどうでもいいじゃないですか。あと、さっきいいわすれたのですが下条さん、「茨城ではああいう顔がふつうだ」とかいう知識については、これはまちがってるとおもいます。まあひとつやふたつまちがった知識をもっていたって、それが下条さんの人間的魅力をそこなうなんてことはないので、どうだっていいっちゃいいんだけど。下条さんはすばらしいひとです。下条マイラヴ。ただ…
6)自分の事を慕ってくれる人に叫んでください。
みんないいひとです。ただ…
7)バトンタッチ15名!(印象つき)
「印象つき」というのでおもいだしたけど、さいきん象印の電気ポットをかいました。あたらしいやつはお湯の出が調子よくってやっぱりうれしいです。ただ…というわけで、なんとかバトンにかこつけた近況報告とかブログ変更点報告とかなんだとかかんだとかそのたいろいろおわり。なんだかきょうはいように長くなってしまった。
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