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October 28, 2005

スイープ

●プロ野球の日本シリーズの最終戦のおしまいのところをテレビでみたんだけど、勝利監督インタビューのときにインタビューアーが「スイープ」という単語をつかったのでへえとおもった。もうそれはふつうにつかわれる言葉ならしい。そういえばそもそもスイープというのは日本語でなんていったらいいのか、とっさにはうかんでこない。なんていうんですかね。将棋だと「棒」とかいったりするんだけど。七番勝負でいきなりどっちかが四連勝して決着をつけるのを「四番棒」とかいったりしてます。ボー。これはほかの世界でもつかわれてる言葉なのでしょうか。あんまりきかない気もします。しかしスイープにしろ棒にしろ、かわいそうなのは、七試合の予定をくんでいるのに四試合でおわってしまって、のこりの三試合がなくなってしまうところです。いろんな準備をしてたはずなのにねえ。なくなっちゃいかんよなあ。かといって、もう決着がついてしまっているのに無理矢理のこりの試合をやるというのもどうかなという気はします。将棋だとすごくむかし、決着がついてしまったあとも無理矢理勝負をつづけてくタイトルマッチがあったみたいです。七番勝負なんだけど、四番棒やるとそこからさきは香落ちと平手の交互でやるという。ちがったかな。三番棒だったかな。うろおぼえですが、とにかくそんなかんじのタイトルマッチがあって、実際にそうなっちゃったりしたみたいです。棒でタイトル戦にかったほうは、もうタイトルの決着はついてしまってるのでそれはおいといて、さらにこんどは香を落として将棋をさすという。落とすほうはいいけど落とされるほうはかなりの屈辱です。そりゃタイトル戦にでてくるような棋士なので、タイトル保持者にせよ挑戦者にせよ、どちらもジブンは現時点における将棋界のトップだというジフがあるわけです。それなのに相手に駒を落とされるんだから、かなりの屈辱にちがいない。将棋だとわかりづらいかもしれないので今回の阪神とロッテを例にしていうと、日本シリーズは四連勝でロッテの勝ち、それはそれとして、いちおう七試合の予定はくんであるので、準備をすすめてきたスタッフの苦労をむだにするのもあれだし、なにより試合をたのしみにしていたファンにもうしわけないので、ここはひとつなんとしても七試合やりましょう、ただ、ふつうにやってもつまらんので、ロッテは守備のときに八人で守ることにしましょう。と、そんなかんじです。いやほんとに。冗談じゃなくてほんとにそんなかんじです。そんな試合をやらされる阪神はそうとうな屈辱だとおもいます。なんでそんな罰ゲームみたいなことをしなくちゃならんのかというかんじですが、勝負をやるまえにスポンサーがそういうルールをきめてしまえば、それがとおっちゃえばもうくつがえせません。しかも将棋だと、駒を落としたほうが意外とかっちゃったりするんだよね。さすがにこれはあんまりだということになったのかどうかしりませんが、その後そのタイトル(王将戦っていうんですが)はルールがかわって、いまはふつうにどっちかが四勝したらおわりというふうになってます。個人的にはでも、まえのルールもなかなかよかったんじゃないかなとおもいます。日本シリーズもついでに、どっちかがいきなり四連勝しちゃったらあとは八人守備で試合をやってみたらどうですかね。ちょっとみてみたいですそれ。
●きょうはヨメを成田空港にむかえにいきました。到着ロビーでまっていると、いろんな言葉でしゃべってるいろんなひとたちがいてインターナショナルでした。そんななかでざんしんな髪型のひとを発見。ヒップホップなかんじの黒人のひとで、正面からみるぶんにはふつうなんですが、よこからみると、後頭部が異様にながいっ。ながいなんてもんじゃない。そのシルエットはまさに、エイリアン。誇張ではなく、エイリアン。あたまにバンダナをまいているんですが、ふつうそうすると後頭部のところはバンダナはしたにたれさがるものじゃないですか。しかしそのひとはちがうんです。バンダナが地面と平行にまっすぐのびちゃってるんです。さいごまで。「アレはあのなかはどうなっているのか?」という疑問でわたしのあたまのなかはいっぱいになりました。確認したい。あのバンダナをとっぱらってなかをみてみたい。そういう衝動がわきあがってきて、こらえるのがたいへんでした。ほんとにあれ、どうなってたんだろう。とにかく、さすが成田空港だった。
●かえりのクルマのなかでちょっとローリングストーンズの話になった。アメリカでMTVをみていたらでてきたそうで、「あのひとたちはいまでもやっているのか?」とヨメさんがいう。もちろんやってるよ、さいきん新譜をだしたんだよ、とこたえたら感心していた。ローリングストーンズはもう、ここまできてしまったんだから、ほんとうにしぬまでやるんじゃないかという気はする。問題は、だれかがしんだときだとおもう。たとえばミックジャガーがしんでしまったときに、それでもローリングストーンズは存続するのか? そんなはずはないだろとおもうけど、でもフレディーマーキュリーがしんでもつづいたクイーンというのもあるので、どうなるかわからない。もうとっくのとうに「なんだってアリ」になっちゃってる気がするし。もしミックジャガーのつぎのボーカリストをむかえてローリングストーンズがつづけられるのだとしたら、おれとしてはそのボーカリストに「二代目ミックジャガー」となのってほしいとおもいます。歌舞伎とおんなじですね。じっさいおおきいロックのコンサートというのはかなり歌舞伎みたいなめんがある気がするし。襲名披露ツァーですみからすみまでずずずいとやってほしいです。これがアリということになればもうローリングストーンズは永久にころがりつづけることになります。八代目ロンウッドとか十三代目チャーリーワッツとか、そんなふうに未来永劫にわたってつづいていきます。伝統芸能ローリングストーンズ。
●そういえばさいきんイッツオンリーロックンロールをききましたって日記にかきましたが、あらためてチャーリーワッツのドラムっていうのはかわってるなあとおもいました。なんていうか、このひとこそ「アーティスト」だとおもう。

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さいごのばんさん

●ばんごはんシリーズはきょうでおわりです。なんでかというとあしたヨメさんがかえってくるからです。彼女があらたな目的をみつけてこのままつぎの旅にでてしまったりしないかぎり、あしたかえってくることになっている。そんなわけでみなさん、きょうまでご愛読ありがとうございました。って、なんかこのブログを閉鎖するみたいですがそういうことではありません。このへたくそな自作料理コーナーはきょうでおしまいってことです。では、さいごのばんごはん。
10270001うあ。写真だとなんだかぜんぜんわかりませんが、これはニラレバというものです。レバニラともいう。しかしバラニレとはいわない。ニバレラともいわない。バニレラとも…ってしつこいな。ともかくみぎうえの皿です。ニラがのこっていたのでニラレバにしようとおもったんですが、しかし作成してて気づきました。いつもの「いためときゃくえるだろ」のノリでいためつつ、しかしこのレバーというやつはどれくらいいためたらいいのか、いため加減というのがよくわからんのに気づきました。きょうのはちょっとあぶないかもしれない。いちおうしみじみいためたつもりなんだけど、まだいためたりないとまずいので、いつもよりよくかんでたべました。(そういう問題ではない気はする)
●まいにちじぶんのすきなものをすきなだけたべられるなんて、夢のようではないかとこの自炊生活をはじめるときにおもっていたのですが、しかしすきなものだけたべてるとだんだんカラダの調子がちょっとおかしくなってくるみたいだ。たんに品数がまいにちすくなかったからなのかもしれませんが。とにかくきょうでおわりだ。やれやれ。いまはヒジキがたべたいです。すごく。
●いま入浴をしてついでにフロをかるく掃除した。部屋や台所の掃除はきのうしておいた。洗濯もしたし、きちんとゴミもだしたし、なんだかおれってものすごくえらいなあという気がする。すごいよなおれ。…だれかお嫁にほしいですか?

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October 27, 2005

きょうのばんごはん

●ぽいうです。こんばんは。さっそくですがきょうの晩ごはん。
10260001メインはA4判のプリント用紙15枚です。おおいかなとおもったんですが10枚じゃあとでおなかがすきそうだし、ということで15枚。でもやっぱりちょっとたべすぎだったかもしれない。つけあわせはハサミと色えんぴつ(緑)。あと、ネバネバしたものがたべたくなったのでガムテープ。ヒカリモノでノーブランドのCD。でもノーブランドはやはりいまひとつ味に深みが欠けますね。はしやすめに、ちょっと歯ごたえのあるものをということでパチスロのコインをいくつかたべました。
●どれがよくなかったのかわりませんが、さっきからものすごくおなかがいたい。胃薬をのんでさっさとねます。
●おやすみなさい。

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October 26, 2005

キューピッズデッド

●冷蔵庫のなかにはにらとぶたの挽肉といいかげんつかっちゃったほうがいい白菜とキャベツ。さあ餃子をつくれといわんばかりの状況で、きょうこそは餃子の皮をかってきて餃子をつくることにする。ひとには二種類ある。餃子にキャベツをつかうひとと、白菜をつかうひとの二種類だ。おれはどちらの側のにんげんかというと、べつにどっちでもよかったりする。なんだ二種類じゃないじゃないか、どっちでもいいひともいるんじゃないか。いやまあそういわれてみるとそうなんだけど、とにかく餃子にはキャベツ派というのと白菜派というのがある。あと白樺派というのもきいたことがある。これはなんだろう。まさか餃子に白樺をいれたりするはずはないとおもうけど、じゃあなんなんだ? なにが白樺? しりませんが、へんなところにこだわっていてもいつまでたっても餃子は焼けないのでとっとと野菜を刻む。きょうは白菜を使用。なんでかというと、きのうのスープがのこっていて一緒にたべるのだが、ここにキャベツがはいっているからである。おんなじものがいろんな皿にはいっているのってあまりたのしくないかんじがする。いぜんしりあいと中華料理屋にいって、そのときしりあいはおなかがすいていたらしく、中華丼とかた焼きそばを注文した。ところが料理がでてきてたべはじめて、中華丼も焼きそばもうえにのっかってるあんがおんなじなことに気がついてものすごく後悔していた。たしかにかわいそうだった。これは極端な例だけども、まあなるたけいろんなものをたべたいというきもちはおおいにあるので餃子は白菜にする。しかしおなかがすいているときに餃子をつくるのってけっこうしんどい。餃子って、料理というより作業というべき過程がとちゅうにあって、つまりタネを皮でくるむところだけど、おなかがすいているときにやるとけっこう目がまわる。とちゅうで失神しそうだった。
●ともかく焼けました。ごはんもたけました。
10250002ごめん。写真だとなんだかぜんぜんよくわからない。いちおう左上のカタマリが餃子です。ハシでつまめばひとつずつ分離します。かなりおおめですが、なんとこれを30分以内で完食するとタダ。いやもちろんそんな話はないです。いっぺんにたべきるのは無理なのはわかっていたがめんどうくさいのでいっきにぜんぶ焼いてしまった。スープはきのうのコンソメなのだが、よくみたらほとんど具がのこってなかった。キャベツのきれはしがちょっと浮いてるくらいで、こないだ「チャーリーとチョコレート工場」をみたらチャーリーのおかあさんがいつもキャベツでスープをつくっていて、しかもそのキャベツがちょっとしかはいってないというのをおもいだしました。
●夜は映画をみにいった。さいきん映画館へいくと映画がはじまるまえに「海賊版撲滅キャンペーン」ていうのをみせられて、なんか不愉快である。さいしょみたときは「なんだこりゃ」くらいにしかおもわなかったけど、毎回毎回みせられるとしまいにゃうんざりする。わざわざ料金はらって映画館までご足労してみにきたのになんでこんな嫌がらせみたいなキャンペーンフィルムをみせられなくちゃならないんだ。みせる相手がちがうだろ、といきどおっていつも映画をみるまえにテンションが10%くらいさがってしまう。なんとかならんのか。
●とくにみたい映画があるわけでもなく、てきとうにえらんで「蝋人形の館」というのをみることにする。さいしょけっこう退屈で、餃子をたべすぎたのと10時からの回だというのとあいまってうとうとしかける。でもわざわざ劇場でやるくらいなんだからそのうちおもしろくなるのかなとがんばってみているとほんとにおもしろくなった。おもしろいどころじゃない。なかなかこうまでみごとにクライマックスに突入できるものじゃない。吉宗で一撃6000枚をやってるみたいだ。さいごはもう画面にむかって「万歳」したくなるくらいだった。クラシックのコンサートとかで素晴らしい演奏をきいた観客がさいごに感極まってブラボーとさけんでたちあがったりしますが、そんな気ぶんになりました。いっちゃわるいけどこれ、三流くらいで落ち着くはずだった映画だとおもう。たぶん。タイトルも、いっちゃわるいけど「蝋人形の館」で、かなりうさんくさいし、こっちもぜんぜん期待しないでみはじめて、あんのじょうでだしが「こんなもんだよね」くらいのかんじで、なのになんでさいごはこんなにうまくいっちゃったんだろう。なぞだ。ともかくきょうはこころから満足した。映画がみんなこれくらいおもしろかったら料金がいまの三倍くらいでもぜんぜんかまわない。
●きのううだうだとネットをしていたらだれかがエクストリームの「キューピッズデッド」のギターのパートをコピーしてアップロードしてるのを発見した。どういう目的なのかはわからない。こまぎれに、16小節くらいずつにわけていくつものファイルに分割してあげている。しかもそれががんばっているのだけどいまひとつテクニック的においついていなくて、微妙にまにあわなかったりとか、きれがわるかったりとかで、それでもしゃにむにがんばっているのがひしひしとつたわってくる熱演で、きいてて爆笑してしまった。

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October 25, 2005

イキモノ

いえにかえると留守電がはいっていて、プールの事務所からで、ケータイをわすれてるよという連絡だった。ありがたい。さっそくとりにいく。ありがとうございますこのご恩は一生わすれませんわたしはいままでのじんせいでひとからこんなに親切にされたことはありませんもうすこしこの世の中をしんじてがんばって生きてみることにしますみたいなことをいってケータイをうけとり、せっかくつくばまできてこれだけでかえるのもなんなんで、CD屋をのぞいていくことにする。きのうプレイボーイをよんでいたらピーターバラカンというひとがかいている文章のなかでCDを推奨していて、ピーターバラカンはなぞのいんちき外人だがたしかにこのひとの勧めるCDをきいてみるとたいていわるくないので、たぶん趣味があうのだろう。今回はマリの弦楽器奏者とアリファルカトゥーレがつくったというCDをとりあげていて、今年いちばんなんだそうだ。そこまでいうならきいてみるかとCD屋でさがしてみたがみつからない。しかたないのでくたさん(18歳。アメリカ在住。大変お世話になっております)も推奨するジャケ買いでもすることにして店内をうろついているとニールヤングがまた性懲りもなく新譜をだしているのを発見する。しょうがないのでかっとくかとおもうが、おれはあんまりおかねもちではないのでぐっとがまんしてさらにうろうろするとこういうジャケットのCDがあったので、これをかってみた。
B000B5XZJMなんだかグレイトフルデッドみたいだ。クルマにもどってさっそくかけてみると、これがまた呆然とするくらいしょ〜もありませんでした。これくらいしょ〜もないとかえってすがすがしいくらいです。あまりにも時代的にまちがっている気がして、いったいいつの発売なんだとジャケットの年号をたしかめるとどうも2005とよめる。さいきんめっきり目がわるくなってあまり自信がないんだけどどうも2005とみえる。2005年でこれなのかあ、それともなにか特別な事情があってしかたなくこれなのかなあとヘンな深読みをしたくなるような音楽であった。これならおとなしくニールヤングをかっておけばよかったよ。だいたいなんでおかねがないからニールヤングはガマンするのにジャケ買いはできるんだ? おかしいだろう根本的に、とあとになって気づいたがすべてはあとの祭。ちなみにこのCD、アマゾンの売り上げランキングは100287位だそうです。意味あんのかそのランキング。
●きょうの晩ごはん。
10240001ごはんをたくのがめんどうくさかったのでスパゲッティーとする。ソースはベーコンとタマネギをいためてトマト缶で煮たもの。スープはコンソメでキャベツとにんじんとタマネギとベーコンを投入。ベーコンはきのうかってきておいた。すごくおなかがすいてる気がしたのでスパを多めにゆでてみたのだが、さすがにこれは大量すぎていちどにはたべきれなかった。プレステでスロットの北斗の拳のソフトをオートプレイにして、環境ビデオとしてながしながらたべた。食事どきの環境ビデオとしてはいまひとつなものがあることに気づきました。荒野をひとりあるくケンを眺めながらひとりスパゲティーをすするわし。

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October 23, 2005

イッツ・オンリー・ロックン・ロール

さいきんの週刊文春をながめていたらドクター中松がイグノーベル賞を受賞したという記事があって、こんどはなにをやらかしてくれたんだろうとおもったら、ひそかに35年間ずっと食事の写真をとりつづけていたそうで、はあ、35年間です、35年、そんでそれに対しての受賞となったそうです。おれなんて四日くらいでもうおなかいっぱいになりつつあるのに、35年間も撮影しつづけてたというのだからもう、なんといったらいいか、偉大としかいいようがありません。さすがです。そんで、ドクター中松のこの35年間の研究によると、その日にたべた食事の影響は三日後にでてくるのだそうで、してみるときょうのおれはサンマの影響がでてきてることになります。どうですかきょうのわたしは。サンマの香りがするでしょうか。どうなんですかね。じぶんではぜんぜんわかりません。たぶんよんでるかたがたにもわからないとおもいます。で、きょうはマーボードーフをつくって食べました。みそしるに投入するためにかってきたトーフが半分のこっていて、期限をすぎていたのでこれを消費しました。なかなかおいしかったです。完全にじぶん用なので、すきなように味つけができる。自炊の利点のひとつですね。トーバンジャンを大量に投入してみました。でも写真はありません。サンマの影響なのかなんなのか、撮影したケータイがどこかに消えてしまった。おっかし〜な〜。プールいくときにもってったのはおぼえてるんだけどな〜。プールの更衣室とかにわすれてきてしまったのだろうか。なぞだ。しかしけっこうこまったかもしれん。あしたしみじみさがさねば。みんな、サンマには注意だ。三日後にわすれものをするぞ。
●きょうのスロットはぜんぜんダメ。ヒデキをちょっとやってかすりもせず、鬼武者をやってこれもダメ。番長をやったらあたったけどバーで単発。これはやればやるほど負けそうだなという気がしてきて、傷の浅いうちにさっさと撤退。ほんの1時間ばかりのできごと。
●夜つくばのプールにいった。
●大量に洗濯をした。
●それにしてもケータイ。

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ヒッチハイクの賛否両論

晩ごはんのしたくをしているときにキッスの30年くらいまえのライブのビデオ(けっこうたのしいです)を流していたら「HotterThanHell」という曲がはじまって、「Hot,hot,hotter than hell」というコーラスのぶぶんがありまして、カタカナでかくと「ハッ、ハッ、ハラザンヘ〜〜ル」というかんじなんですがここのところを「はっ、はっ、はらがへ〜〜る」というふうに歌っていた中学時代をとうとつにおもいだして、包丁をにぎったままなんだか遠い目になってしまいましたぽいうです。みなさんめしくってますか。おれはきょうもくいました。
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こうして一家の台所をあずかる立場になってみると(というほどのことじゃないですが)、まいにちのようにつぎからつぎへとなにかがきれていくものだなあとおもう。タマネギがなくなったとおもったら牛乳がなくなって、そしたらケチャップがなくなってこんどはみりんがなくなって、なんというか、あちらを立てればこちらが立たずというかんじで(ちょっとちがうか)もうまいにちのようになにかがなくなっていく。そう、僕たちは毎日何かを失い続けている。僕たちは毎日少しずつ空っぽに近づいていく。そうしてとうとうおしまいには本当に空っぽになってしまうんだ、それがじんせいというものさ、そうだろう? …いや、ちがうとおもうな。そんな話じゃなかったとおもうな。たんにおさんどんの話だったとおもうな。とにかく、まいにちのようになにかがなくなっていくのはたしかな話で、ひとりふたりの家でこうなんだから、五人家族くらいになるともっとすごいいきおいでいろんなものがなくなっていくんだろうなあとおもう。主婦のみなさん買い物ごくろうさまです。というわけでわがやにおいては牛乳とショウガがなくなってしまったのできょうはそれをかってきた。タマネギもないのでいちおうかっておいた。あとかんじんのほんじつの晩ごはんの材料として、ぎょうざがたべたくなったのでひき肉とニラをかってきた。それはいいんだけど、買い物をすませて家にもどってハタと気づいた。ぎょうざの皮がない。……。まあよくあることなのでここはひとつあまり深く追求をしないことにして、てきとうになにかでっちあげることとする。臨機応変。その場しのぎ。おれのたいせつなじんせい訓だ。あらためて冷蔵庫のなかをみわたしてみるとまだ白菜がけっこう残っているので、ぶたにくを解凍してこれといためて、「とりあえずいためときゃくえるだろ中華風定食」をつくる。もう個人的というかおれの内部的には「中華は見切った」というキモチがある。中華は見切りましたね、もう。ようするにあれだ、ショウガをおろしてニクとヤサイといためて、塩とショウユと中華味の素と水をいれてしばらくおいといて、さいごに水溶きカタクリコをいれればオッケーだ。これで制覇。中華制覇。ちょろいもんだぜ。…と、おもっていたのだが。だが、たべてみたらものすごくしょっぱくなっていた。どうもショウユをいれすぎたらしい。う〜ん、さすが中華四千年だ。奥が深いぜ。でもいちおうしょっぱい方面にはかなりの耐性があるほう(だとおもう)ので、たべられなくはない。ていうかこんなのおれ以外にはだれもたべたくはないだろうとおもわれるので、しかたなくたべる。責任をとる、というやつだ。失敗料理は制作者が責任をもってたべきるという鉄の掟が当家にはある。あるのかな。まああることにしよう。あとは「とりあえずにときゃくえるだろ中華風スープ」。三日くらいまえにも制作したマンネリスープ。冷蔵庫の野菜をなげやりなかんじで消費するのに最適。もうひとつ、右上のある皿はイカの塩からです。結婚したあとあまりたべた記憶がない。結婚というのは家同士がするものだ、という話をきいたことがあって、いまひとつ意味がわかっていないのかもしれないのだけど、これは家と家との食卓同士が結婚するものだという意味なのだろうか。だとしたらそれはかなりいえているとおもう。家のごはんというのはたしかにおのおの傾向というものは存在するのであって、たぶんヨメさんはイカの塩からとかはあまりでてこない家にそだったんじゃないかなとおもう。きいたわけじゃないからしらないけど、そんな気がする。そりゃタイやヒラメが目のまえの海でおよいでるような土地でくらしていたら、わざわざイカの塩からなんてたべることはないだろうとおれだっておもう。だからたぶん、イカの塩からをたべたいとおもったりはしないのだろう。いまのうちの食卓にはならばない。でもおれの育った土地にはタイやヒラメが目のまえでおよいでいる海はなかったので、そもそも海がなくて見渡すかぎり田んぼなので、イカの塩からというのは海のかおりをつたえてくれる貴重な保存食といことでわりとよく食卓にでてきた。土地の問題ではなくてたんに親がすきだっただけなのかもしれないけど。とにかくスーパーでイカの塩からをみかけて、けっこうおれはあれがすきだったのをおもだしてかってきてしまった。そうしてたべたらうまかった。
●きょうのスロットはちょいマイナス。あさイチ夢夢の6ねらいで着席したら11Gでステチェンして「設定変更?」とおもうまもなくもう一回ステチェンしてスロットステージにいって、そこであたってB4R2の6連。「6掴んだか?」と夢をみていたらそこから天井まで一直線のハマリ。600Gあたりまで「6だ」としんじこもうとしていたのでやめられず、そのあとはこんどはこれだけハメてしまってやめられず、けっきょく天井まで回してしまった。だしたコインは全部のまれて追加投資200枚ほどして、そして単発。なんだったんだ。500Gあたりでやめておけばな〜。
●「よつばと!」というマンガがすきで、毎晩ねるまえによんでいる。「ま〜たおんなじマンガよんでる」とヨメにあきれられながらもよみつづけてる。じぶんでもなにがうれしいのかよくわからんのだが、すきです。電撃大王という雑誌に連載されていて、「よつばと!」をよむためだけに毎月かっていたりする。本屋にいったら最新号がでていたのできょうもかってしまった。しかしほんとうに「よつばと!」いがいよむとこがない。ていうかよんでも意味がわからん。「マンガ雑誌は三本よむマンガがあればモトがとれてる」というのをなにかでよんだけど、一本しかよんでないんだからどうかんがえてもモトとれてない。でもかっちゃうんだよね〜。あとは月刊プレイボーイと映画秘宝をかった。
●レンタルCD屋にいってローリングストーンズの「イッツオンリーロックンロール」を借りてきた。なにをいまさらというかんじだけど、なんとなくききたくなって。
●でもいまは「ヒッチハイクの賛否両論」をかけている。
●夜ともだちがあそびにきて、「奥さんはどうした?」ときかれたので「逃げられた」とこたえたら本気にされて心配された。しかもそのときおれは松浦あやのコンサートのDVDをかけてウトウトしてたところで、居間にとおしたら松浦あやがテレビの画面にうつっているのをみてともだちにあきれられた。いやたしかにニョーボに逃げられた四十男がひとりで松浦あやのDVDを鑑賞していたらちょっとまずいかもしれないとはおもう。でもそうじゃないんだ、これはたまたまなのであって、そのまえはキッスを流していたのだしそのまえはフランクザッパだったし、だいたいほんとうはニョーボは逃げていないんだよといいわけをしながらおれはなにをしているのだろうとおもった。
●ともだちはケーキを3個、おみやげにもってきてくれた。ともだちとおれで1個ずつたべて、あと1個残っている。あとでくおう。フフフ。

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October 21, 2005

めしくおうよめし

一年ほどまえにプレステデビューをはたしたうちのヨメはさいきんドラクエに凝っていて、まいにちちまちまとドラクエをやっていたのだがとうとうそれがこうじてみずから旅にでてしまった。「ゾーマを倒しにいく」というヒトコトをのこして、アメリカだかなんだか、あっちのほうにいってしまった。べつにそれはかまわないのだがこまったのはごはんである。ごはんというのはいっぺんに三日ぶんとか一週間ぶんとかたべられないのが難点で、それができればどんなに便利だろうとおもうのだがどうにもそれはかなわなくて、どれほどおなかいっぱいにたべてもつぎの食事どきになればおなかがすく。そんなときにヨメがいればそっちのほうをむいて「ハ、ハラへった」とヘロヘロつぶやけばなにがしかの食べ物がでてくるので、天からふってくるみたいに食べ物が眼前に出現するので、これはもう一生こういうものであるかとはんぶん錯覚をおこしかけていたのだがもちろんそのようなことはなく、カベにむかってハラへったとつぶやいても天井にむかってハラへったとさけんでも鏡にむかってハラへったと語りかけてもヨメがそこにいなければ食べ物がでてくるわけはない。おもうにじんるいの歴史というのは食べ物の調達の歴史なのであって、とにかくいちにちに二度三度とやってくるこのハラヘリ状態をどうするか、どうやってやりすごしたらよいのかという大命題にわれわれのご先祖さまは数千年数万年ととりくんできたのであって、その血のにじむような努力の結果どうなったのかというと、べつにどうともなりはせず、いまだにじんるいはしばらくほっとくとハラがへる。で、けっきょくなにがいいたいのかというとつまりおれはまたしても「キミは自炊をするべきだ状態」におちいっているのであった。こんなときありがたいのはネット検索というやつで、ハラがへったらただちにグーグルにそのおもいのたけをぶつければなんとかしてくれる。いやもちろん「ハラへった」などと単刀直入にグーグルにうちこんでもダメっすよ。そんなのあたりまえだ。ポイントとなる言葉は、そう、「レシピ」。レとシとピ。つなげてレシピ。魔法の言葉レシピ。ドラクエにホイミ、ファイナルファンタジーにケアル、そしておれにレシピ。ってそういういいかたをするとほんとにレシピととなえればおなかいっぱいになってしまいそうだけどもちろんそんなことはなくて、いいかげん意味のないことをぐだぐだとつづっているのも飽きてきたんでこのへんで結論をのべますと、とにかくネットのレシピ検索は便利だという話です。たった一行ですむ話をなぜかこんなにひっぱってしまいました。ごめんなさい。なわけでまずさいしょにおとといの晩ごはん。
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冷蔵庫をあけて、使用するべき優先順位のたかそうな食材をチェックしてみると、まず、期限切れのタマゴが7個ある。意外とおれは賞味期限とか消費期限とかを気にするほうで、たとえば10月21日までとあったらなるたけ10月21日までにつかいきってしまいたいほうである。そのてんヨメはわりとおおらかで、「こんなん三日くらいすぎてたってしにゃ〜せんやろ」とかうそぶいて消費期限切れのたべものをくちにしているのをときどきみかける。たぶんおれもときどきそういうものをたべさせられているのだろう。たしかにまだしんではいないので、かまわないといえばかまわないのだが、希望としてはいちおう消費期限のくるまえに消費をしておきたいというめんはある。で、タマゴがすでに期限を二日すぎているので、さっそく消費することにしたのがおとといの晩ごはん。いちおう天津飯のつもりです。あまりそうみえないかもしれませんが、天津飯といったら天津飯なんです。かってきたのはカニ缶とネギ。天津飯というのはじつはこれまでもなんどかつくったことがあって、こういうのをひとは得意料理といったりするのかもしれないけど、じつをいえばマンネリというやつです。なかなかおいしかったとおもうんだけど、問題はカニ缶で、やっぱり、ひとりぶんには多すぎる。異常にカニの含有率のたかい天津飯であった。あと、すこしまえにナベものをやって白菜がけっこう残っていたので、これも消費しといたほうがよかろうと中華風のスープもつくってみた。タマネギとか長ネギとかキクラゲとかシイタケとかハルサメとかにんじんとかいれてみました。なかなか元気がでそうです。
つぎはきのうの晩ごはん。
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二日目ですでに挫折というかなんというか、かんがえるのがめんどくさくなったのでサンマ。サンマはラクでいいです。なにしろ焼けばいいんだから。そもそも料理の基本の知識というのがおれにはないので、なにしろけっこうなトシになるまでニンジンというのは皮をむいてたべるのだというのをしらなかったくらいなので、なにをつくるにしても根本的にまちがっている場合があるかもしれない。そういう危険性はつねにある。すごくまえになにかをつくろうとして、塩がなかったのでかわりに味の素をいれたんだけど、いれてもいれてもしょっぱっくならなくて、そのうちこんどはいれすぎてしまったらしくて、食べたらあとでキモチがわるくなってしまった。どうも致死量寸前までいれてしまったらしい。あぶない。そのころおれは味の素というのは塩の一種だとかんがえていた。あぶない。こういう、基本というか、基本以前のことがわかっていなかったりするので、まちがいなく現在でもそういうところは多々あるとおもわれるので、料理をするさいはつねに死の危険と隣り合わせになっているのだが、でもサンマは大丈夫だ。焼けばくえる。焼きが足りないのと、焼きすぎてまっくろになってしまったのはだめだけど、そこさえ気をつければたいてい大丈夫だ。安心、簡単、うまい。えらいぞサンマ。しかもことしのサンマはでかくてやすいらしい。78えんだって。すばらしいぞサンマ。右はダイコン。1/3くらいに切ったやつをうっていて、38えんだった。そのうちの半分をすりおろしたので、これは19えんぶんです。なんだかわらっちゃいますね。みそしるはトウフとナメコ。そういうのがたべたくなったのでかってきた。あとなぜかサツマイモがはいっている。なぜサツマイモかというと、なぜか冷蔵庫にあったから。しかしどうも煮すぎてしまったらしく、ぐずぐずになってしまった。味はべつにまずくはないがうまいというものでもない。結果論ですが、ナメコとサツマイモはとくに相性がよいわけでもないです。「結果論」ていう日本語はしかし、なんなのだろう。変だとおもいませんか? という話はどうでもよくて、やっぱりひとりぶんのごはんをつくるというのは、どうしても宿命的に食材の問題からはのがれられない。たとえばこれがぶたにくとかだったら冷凍しておくかという気にもなるけどナメコなんて、何度かにわけてつかおうなんていう気にはなれない。とりあえずひと袋ぶんぜんぶつかいきってしまう。そうすると、一杯のみそしるにはいくらなんだっておおすぎる。というわけで四杯ぶんくらいのみそしるができてしまった。こういうのがあるから、カレーライスとかなかなかつくる気になれないんだよね。
つぎはきょうのごはん。
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すまん。きょうの写真はわかりづらいです。いつもわかりづらいかもしれませんが、いよいよもってわかりづらいです。説明すると、これはニブタです。豚バラ煮込みというんですか。あれです。きのうスーパーでサンマをかってきたときに、ついでに豚バラブロックというのを購入して、煮ておいた。なんでかというと、おとといネギをかったわけである。天津飯をつくるために。このへんでネギといえば長ネギを意味するんだけど、あれは青いところはあまりつかわない気がする。でも、捨ててしまうのもなんとなくもったいないなあという気がして、ブタを煮ることにして、そのなかに投入してみた。われながらちょっとえらいなとおもう。期限切れのタマゴもちゃくちゃくと消費されつつある。えらい。そのへんはいいんだけど、しかしさすがに品数がすくなかったかもしれない。食べようとしてすこしわらってしまった。あとなにか二点くらい、ちょっとしたものがほしいところです。しかしその「ちょっとしたもの」というのが、ひとりの食卓には不経済だったりする。めんどくさいし。ひだりうえの小皿は梅干しなんだけど、こうして写真をならべてみるとまいにちすこしずつ減っていて、大活躍しているのが手にとるようにわかるのがたのしいですね。

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October 08, 2005

日頃の行いというのは大切だとおもったこと

●いまコーヒーをいれたんだけど、つい無意識のうちにいつものクセでふたりぶんいれていた。ヨメは当然のごとく爆睡中であるのに。いれおえたあとでそのことに気がついて、なんだかおれってかわいい、とおもいましたぽいうでございます。こんばんは。きょうは蒸しますね。
●せんじつ高校・予備校のころのゆうじんたちと飲酒をしたのであるが、ひとりが「来月あたりオレ、リコンするんだよ」といいだした。「なんで?」ととうぜんみんながたずねると、「なんかさ〜、結婚したときからオレのことが許せなかったとか、そういう話なんだよね〜。オレのだらしないところがイヤだったとか、なんだとか、かんだとか、でもさ〜、そういうことをいまごろになっていうんだけどね、もう結婚して十年ちかくもなるってのにいまさらそんなことをいわれても、オレもまいっちゃってさあ、だったらさいしょっから結婚なんてするなよって、そういう話なんだけど、いまはもうニョーボはオレとはいっさい顔をあわせようとしなくて、オレが家にいるあいだはべつな部屋にとじこもってカギをかけてて、さいきんぜんぜんみてないんだよね。来月あたりに正式にそういうことになるから、いまオレ、すむとこ探してるんだけどさ〜、ほら、いまのマンションてニョーボの名義になってるからさ〜、いやまいったよ、ハハハ」とかいう話で、どうも当人がなぜリコンされるのかその真の原因がわかっていないようなので話をきかされるほうはますますわからない。わからないんだけどみんなして話を半分もきくまえから「とにかくそれはおまえが悪い」ということになってしまった。やっぱりにんげん、ふだんの行いっていうのは大切なのだなあとおもうのは、こういう話をしたときに「よくわからないけどおまえが悪い」といわれてしまったりするからで、このときも目の前でしょぼくれているそいつよりも、二回くらいしかみたことのないそいつの奥さんのほうに同情があつまっていて、あとでかんがえてみるとすこしかわいそうだったかなとおもいました。もしおれがこういうことになって、友人にうちあけたときに、事情を説明するまえから「とにかくそれはおまえが悪い」といわれてしまったらやっぱりそれは悲しいモノがあるはずだとおもう。だからやっぱりふだんから、心の清い行いとか誠実な生活タイドというのが大切なんだよなあとあらためておもいました。

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すれ違う二人

●愛し合い求めあいながらもすれ違う男と女、その悲しきディスティニー。…いやもちろんそんな話じゃないですけども。さいきん夫婦間のすれ違いがたいへんおおいです。原因は100パーセント、起床時間がずれていることにつきとるとおもわれます。ちなみにさいきんのうちのヨメの就寝/起床時間データ。

おととい
就寝…ヒルの2時頃(推定)。
起床…夜中の12時頃。

きのう
就寝…ヒルの3時頃(推定)。
起床…夜中の1時頃。

きょう
就寝…ヒルの4時頃(推定)。
起床…夜中の2時頃(推定)。

これはこれである意味規則正しい生活といえるのかもしれません。

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October 07, 2005

120円玉っていうのはつくれないですかね

●むかし消費税というのがはじまったときに、それまで100円だった自動販売機の缶飲料がいっせいに110円になって、あまりのめんどうくささに愕然としたおぼえがある。それまで100円玉をぽんといれてボタンを押せばそれですんでいたのに、110円になったおかげで、いちいち財布のなかから100円玉のほかに10円玉をさがさなくちゃならない。10円玉がないときには100円玉を2個投入して、お釣りの90円がおちてくるのをまって、それをとりだしていちいち確認しなくちゃならない。とつぜん事態はものすごく複雑なことになって、これからさきおれは一生このめんどくささから逃れられないのか、いったい残りすくないじんせいの貴重な時間のどれくらいをお釣りの確認に費やさなくちゃならないのか、とめのまえがマックラになるおもいがした。もちろんおれはちょっとだけまちがっていた。それからあとずっと110円だったわけではなく、いつのまにか120円になっていたからだ。でも、めんどくさいことにはかわりがない。缶飲料の値段が110円になったときに、その不便さに辟易した知人のひとりが「一本100円というのはそのままにして、かわりに11本に1本、ハズレがでてくるようにすればいいのに」とまがおでいいだした。1/11の確率で商品がでてこない。いや、でてこないというのもなんなので、からっぽの缶がコロンとでてきて、「納税」とかなんとかシールでも貼っておけばいい、というようなことを真剣にかたりだした。長い時間でかんがえれば最終的にはとんとんのあたりにおちつくはずだし、いちいち100円玉と10円玉を財布からさがしたりお釣りを確認したりする手間がはぶけるぶんだけそのほうがずっといいじゃないか、というのだ。そのときはわらってきいていたけど、意外とこれは名案なのかもしれなくて、いまだに缶飲料を自動販売機でかうときにこの話をおもいだしたりする。財布のなかから小銭をさがすときや、お釣りが落ちてくるのをまっているとき、わすれられない十代の恋人のようにおれはこの案をおもいだしたりする。

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October 06, 2005

しつこく

●わたしが学生のころだからいまから25年くらいまえになるんですが、そのころはコンサートとかもぼちぼちいってて、ならせば月に2回くらいいってたのかなあとおもうんだけど、だいたいそのころのチケットの値段というのが4000えんくらいでした。たぶん。3800えんとか、4200えんとかね。6000えんとかいわれると「たっけ〜な〜」と文句をいったりしたおぼえがある。1980年くらいのころです。それがなんで2005年になると12000えんとかふつうにいわれてしまうんでしょうか。だって、3倍っすよ3倍。まったく納得がいかんです。フザけとります。だいたい1980年くらいから現在まで、モノの値段というのはあんまりかわっておらんではないですか。うそじゃありません。わたし、いきてたからしってます。値段はあんまりかわりませんでした。タバコだけはなぜか「これはおれに対する挑戦なのか?」とおもわされるくらいのいきおいでずんずんあがっていますが、しかしいくらなんだって3倍にはなっていない。なのになんでコンサートのチケットは3倍? おっかしいよな〜。どうにも納得がいかん。そりゃね、ピンクフロイドみたいにバリライトをぐるぐるまわしてたら「こらすげえなあ、この装置、100憶えんくらいするんだろうなあ、ぜんぜんわからんけど」と体感的にかんがえて、「100憶えんつったらひとり1まんえんずつあつめてもええと、100まんにんくらいよばにゃならんのか」と必死にかんじょうして、「そらひとり1まんえんくらいはとられるわな」といちおう納得できます。あるいはマイクオールドフィールドみたいにバンドのメンバー100にんくらいひきつれてたら「なんでこんなにいっぱいいるのかなあ」とごく自然に疑問をいだいて「さすがにこれだけいっぱいいたら練習するのも大変だろうし移動だってものすごく大変だろうしだいたい楽団員全員に給料はらったらいくらになるんだ? ふた月くらいは拘留するんだろうからひとりあたま50まんずつはらうとして100にんくらいいるから50まん×100にんで…」とそのあたりまでいったところで当然のように計算するのは放棄して「まあとにかく観客ひとり1まんえんずつはらってもしょうがないか」となんとなく納得はできそうです。ほんというと完璧に納得はしてないんですけど。というのはほら、クラシック音楽とかで、楽団員が100人くらいいたとして、シンバルば〜んとかやってるひといるじゃないですか。しかもそのひとはそれしかやらんわけです。5分に一回くらいばしゃ〜んとシンバルをはちあわせて、あとはぼ〜っとしてるわけです。たしかにいなきゃ困るのかもしれませんがしかしなあ、あのひとの給料ぶんまでチケット代にはいってるのかなあ、いっちゃなんだけどシンバルなんてうしろのほうでラッパ吹いてるひとがなにかのついでに足でけっとばしときゃそれですむんじゃないかなあ、そうすりゃひとりぶん浮くじゃんなあなどとほんのすこしだけおもいます。すみません。暴言です。そもそもわたしはこんな無礼な話をしようとおもってたんじゃありません。なんでコンサートのチケット代はこんなことになってしまったのか。このことについてギロンをしたかったのです。なんで、いつのまにあれはあんな値段になってしまったんですか。百歩ゆずってピンクフロイドとマイクオールドフィールドはいいとしよう。しかしクイーン。なんで12000えんなんだ。おまえらだって30年まえは4000えんくらいだったじゃないか。たぶん。憶測だけど。でもきっと4000えんくらいだったはずだ。それがなんで3倍になってしまったんだ。30年たって音楽が3倍よくなったとでもいうのか。どうなんだ。

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October 05, 2005

ポール

●ちかごろ(というほどちかごろでもないですが)ドギモを抜かれたのはクイーン+ポールロジャースです。クイーンにポールロジャース。なんなんでしょうかこれは。タイムマシンにのって1980年ころのむかしにいって、そのへんにいる洋楽ずきのひとをつかまえて教えてやりたいですね。「いまから25年したらクイーンのボーカルはポールロジャースがやってるんだよ」って。でも、きっとだれもしんじない。しんじてくれるわけがない。「じゃあオフコースのボーカルは世良まさのりかい?」なんていいかえされそうです。まあたしかにそれくらいけったいなくみあわせではある。でも、ほんとなんだよねえ。ながいきはしてみるもんです。で、いまそのクイーン+ポールロジャースのサイトにいって試聴をしてみたんだけど(便利なよのなかだ)、ポールロジャース、ちゃんといまでも歌えてる。これはすごい。感心した。いくつになるんだろう。いまでも歌えてる。あんのじょう「オールライトナウ」とかやってるみたいなんだけど、ぜんぜんおとろえてない。ポールコゾフとやってたころとなんらかわらん。すげ〜。じつは個人的にポールロジャースについてはおもいいれというか親近感というものをひごろからいだいていて、なんでかというとうちのオヤジにそっくりなんです。かおが。これはわたしだけがそうおもってるのではなくて、わたしの数すくないゆうじんたちもそうおもっていて、「あのポールロジャース似のオヤジさんは元気か?」などといまだにいわれたりします。なにしろ実の父とおなじかおですからね。いいひとにきまっています。親近感をいだかないわけにはいきません。あともうひとりうちのオヤジにかおがにているひとに志村けんというひとがいます。これもまた万人がみとめることの事実で、うちのオヤジはむかし職場である日意味もなく脇息をプレゼントされたりしてました。オヤジはわけがわからなくてクビをひねってましたが、わたしは「バカ殿の小道具だ」とすぐにぴんときて、職場できっとひそかに「バカ殿」とよばれているのだろうとおもいました。そんなわけでわたしのなかで「志村けん=うちのオヤジ=ポールロジャース」という三人組が「無条件で親近感をいだくひと」ということになっているわけですがそんな話はどうでもよかったですね。極私的にすぎましたね。すみません。ともかくこのクイーン+ポールロジャースの来日公演が今月の下旬にあるみたいで、ちょっとみにいきたくなりました。今月の下旬といえばニョーボがしばらくルスにするのでひとりでヒマをもてあましそうだし、そういやさいきんコンサートってぜんぜんいってないし、そうか〜、ポールロジャースか〜、ポールロジャースが老人になったギター小僧とあのドラムはぜんぜんダメのくせして顔だけはすごくよくてしかもなんだかものすごく歌がうまいおまえはいったいなんなんだどれかひとつにしろのあのドラム男をひきつれてキャントゲットイナフを歌いにくるっ。う〜んこれはいくしかないか〜とぴあのホームページをみにいったらS席12000えんだって。目が点。そういやこういうふざけ果てた値段をつけてくるからコンサートっていかなくなったんだっけ、とおもいだしました初秋の深夜。

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October 03, 2005

ディックレス

●シンシティーという映画をみてきた。たいへん独り言のおおい映画でした。どうでもいいんだけどとちゅうで「ディックレス」という単語がでてきて、そういうのだけはしっかりと聞き取ってしまうじぶんのミミはなんなのかとおもいました。いちおう解説しますとディックというのはイチモツのことで、レスというのはこう、欠乏しとる状態なわけです。貧なる状態なわけです。30年くらいまえにニールヤングが「ヘルプレスヘルプレスヘ〜ルプレ〜ス」と歌ってるのをきいて、辞書をひいてああレスというのはそういうことなのか、ヘルプという単語にもレスはついてしまうのかとなんだか感心して、中学生だったわたしはそのときレスをおぼえました。このレスがディックについてしまえばこれすなわちディックレスで、映画のとちゅう変態ロリコン男が股間を銃でぶち抜かれてイチモツをうしない、あとになってこの男のオヤジが「わしのかわいい息子をこんなディックレスのカタワにしくさって」と怒るシーンがありまして、わたしは日本オヤジなので英語映画はとうぜん基本的に字幕をおいかけてスジを理解しようとつとめているわけですが、こういうのだけはなぜか字幕などみる必要がなくすぱっと耳にはいってきてしまうんです。このたわけたサノバビッチなミミはなんなんでしょうか。じぶんでもよくわかりません。しかしそういえば字幕などみる必要なくすぱすぱとミミにはいってくるセリフが多い映画が個人的に気にいることがおおい気がします。ロボコップとか。

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