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September 30, 2004

ベリーズ

●世の中にはベリーズ国という国があるのだとはじめてしった。主要都市はベリーズシティーで通貨はベリーズドル。みどころがたくさんありますとベリーズ国政府観光局はいっている。いっしゅん「ほんとに存在するのだろうか」とうたがってしまうようなベリーズ国だ。「ベリーズ」で検索したら、いちばんさいしょにでてきたのがベリーズ国紹介のページで、それではじめてしった。
●なんでベリーズを検索したかというと、夢をみたからだ。モーニングむすめのメンバーのひとりとなって、あのなかで歌って踊っているという、つっこみ殺されかねないくらいのいきおいで皆の衆からつっこまれそうな夢であった。でも楽しい夢だった。すいません。だれにむかって謝っていいのかわかりませんが、とにかく謝っておいたほうがいいような気がしますので四方にむかって謝っておきます。すいません。
●ずいぶんまえに、モーニングむすめのメンバーのひとりと結婚する夢をみたのだが、今回は歌って踊る夢だった。ひとは進歩するものである。でもこういうのも進歩っていうのかどうかはわからない。夢からさめて、しかし、いまだにモーニングむすめっていうのもなあ、こう、時代にとりのこされているというか、あれだよなあという気がした。かといって、よくかんがえてみると、おれはモーニングむすめ以降、どんなひとがいるのかしらないのだった。だから夢もみれない。なんだかますます時代にとりのこされている気がしてきて、こんなことではいかんとおもい、ベリーズなんとかっていうのがあったなあとおもいだして、それで検索してみた。いつだって向学心はうしなわない。検索した。そしてベリーズ国にであった。
●「ベリーズは、英語圏で治安が良い為マヤ遺跡・熱帯雨林へのエコツアーや、美しいサンゴ礁でダイビングを楽しみに、アメリカから多くの観光客がこのカリブ海のリゾート地を訪れています。日本人にはまだ未知の国ベリーズへ行ってみませんか?」
●すこしあやしげな日本語で、ベリーズ国政府観光局はおれをそういざなっている。いってみたいなあ、とおもう日本国台風の夜。

        ☆

●やっと晴れた。やれやれ。じつは、かなり気になっていたのだ。せんじつ、秋の青空がきれいでどうこうという話をかいたときに、気になっていたのだ。おれがこういう話をすると、たいてい雨がふりだすことになっていて、そしたらあんのじょう翌日からえんえんと雨かくもりか、しまいには台風まできてしまった。なんだかすごくおれの責任であるみたいな気がして、胸をいためていたのであった。しかしきょうはやっと晴れた。よかったよかった。このままえんえんと来年の三月くらいまで晴れなかったらどうしようかとおもっていたよ。

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September 27, 2004

もうねます

●夜、部屋のデンキを消して、ねどこのなかでの配偶者との会話。
「ジブン、高校のころ部活なにやってた?」
「おれ?」
「うん」
「サッカー部」
「えっ?」
「サッカー部」
「えっっ? …………(以後一分くらいえんえんと沈黙。というか、絶句)」
それはあまりに驚きすぎではないですか。あまりに驚くのは失礼というものではないですか。

●夜、部屋のデンキを消して、ねどこのなかでの配偶者との会話その2。
「わたしもやっぱりユメとかキボーとかいったものをいだいていきていかないとだめだとおもうのよねえ」
「ふむふむ。むにゃむにゃ」
「いまからでもおそくないっ。なにかめざそう。いまからわたし、なにになれるかなあ」
「う〜ん。そうだなあ。歌手とか、どう?」
「歌手か〜。え〜な〜。なに歌手がええやろ」
「なに歌手って。そんなのおれ、演歌歌手しかおもいつかんが。ほかにあるのか」
「あるやろ。アイドル歌手とか。ロック歌手とか」
「ああロック歌手か〜。そういうのあるなあ。ロックボーカリストとはひと味ちがう」
「ちゃうでえ、そらもうちゃうでえ」
「きみはロック歌手っていったらだれをおもいうかべる?」
「わたし? わたしは……ハウンドドッグ、とか」
「それ歌手じゃない」
「ジブンはだれをおもいうかべるの」
「もちろん、桑名正博。これしかない」
「ああ、おったおった。わはは」
「セクシャルヴァイオレットだよ? セクシャルヴァイオレットナンバーワンだよ?」
「わはは」
「あのころおれさあ」
「なに?」
「日本の歌の歌詞で、いんちきな英語がでてくるだろ? アイラブユーとかマイスイートハートとか」
「うん」
「ああいうのがなんか許せなくってなあ。きくたびムカムカしてたんだけど」
「ほう」
「セクシャルヴァイオレットナンバーワンをきいて、もう、なんでもよくなっちゃったよ。なんていうか、もう、突き抜けてた。ちっちゃいことにこだわってるじぶんが小さくみえたっていうか。だって、セクシャルヴァイオレットだよ? ナンバーワンだよ? もう、とどめだったね」
「なるほど」
「偉大だよ桑名正博」
「偉大すぎる」
「ありがたい」
「ありがたい」
歴史は夜つくられるなどといいますが、われわれのような凡人は歴史に関与することはこのさきもまったくないかとおもいます。やはり夜はさっさとねるべきだとおもいます。

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September 26, 2004

続 趙さん家の犬

「上を下への大沢」こと大沢とは小学校から高校までいっしょだった。大沢は中学のころからどうもニョタイというものに異常なまでの関心をいだきはじめて、ニョタイというのはつまり漢字でかくところの女体であるわけだが、これに異常な関心をいだきはじめて、高校にはいるとこれがさらにエスカレートし、高校を卒業するとさらにますますエスカレートし、さすがに四十をすぎたいまとなればすこしはおさまっているかとおもったらそうでもないらしく、いまだにそのまんまであるようで、いったいおまえはこの三十年間、くる日もくる日もそんなことばかりかんがえつづけていて、それはどんなじんせいなのだとばかばかしさを通りこしておれはかえって清々しくなった。人間万歳。で、この大沢はしばらくまえから女子高校生とつきあっていて、つきあうといってもれいのいわゆる援交というやつなわけだが、それをつづけているうちにどうも高校生ではあきたらず、さいきんでは中学生に興味をいだくようになってしまったのだという。大沢は飲み屋というか、ちょっとおしゃれっぽいバーみたいな店を経営していて、店をひらくときに店名はどうしようかと相談されたので「上を下への」にちなんで「アップサイドダウン」にしろよとけっこう本気で提案したのだが受け入れられなかった。そんな話はどうでもいい。ともかく大沢は飲み屋をやっていて、せんじつべつな町に店をもう一軒ひらいたというので、週末の夜にあいさつがてらのぞきにいった。大沢は事業の拡大にはしゃいでいるようすで、かなり上機嫌で酔っぱらっていた。酔ったいきおいでよけいなことまでぺらぺらとしゃべりまくる。やっぱり十代の子は肌がちがうんだ肌が、こう、つるっとしていてハリがあってとかなんとか、こっちがきいてもいないことをまくしたててくる。どうでもいいが大沢はいかにもインチキくさい口ヒゲをはやしていて、いわゆるチョビヒゲというアレをはやしていて、その42歳の中年男のうさんくさいチョビヒゲのしたのおぞましいくちがもぞもぞと動いて「女子高生」という単語が毒ガスみたいにもれてくるのをみていると、現代社会のゆがみとかひずみとか病といったものが目のまえにあらわれたみたいで、なにかもうおれはぐったりとしてしまう。どうにかして話題を変えようと、ちかごろのオヤジ界定番のホットな話題であるところの「楽天というのはそんなにもうかっているのか」などをふってみるのだが、大沢は興味をしめさない。きく耳をもたない。自分勝手に現在つきあっている高校生の話を全開でえんえんとまくしたてたあげく、さいきんは中学生小学生に嗜好が移行しつつあるのだと呆れたことをいいだした。高校生はもうだめだね、もうおれはさとったね、女はやっぱり毛がはえるまえまでだねなどとほざくので、他人の毛がどうこういうまえにおまえこそその不愉快なヒゲを剃れとおれはついにいってはならないことを口ばしってしまったのだが、大沢はいっかな動じないようすでウハウハとわらっている。そこからこんどは中学生について語りだしたので、さすがにこれはおれもひとりの成熟した社会人としてたしなめるべきだろうとおもい、おまえアタマのなかで何をかんがえていようと勝手だが、まちがってもほんとに手をだすんじゃないよ、まさかとはおもうけどくれぐれもやめとけよ、と釘をさすと、うんうんそれはよくわかってるよとうなずいて、そのすぐあとに、このちかくに中学校があるんだ、いまからちょっといってみないか、とおれをさそう。いってどうするんだとたずねると、ちょっと更衣室とかしのびこんでさ、と、心が洗われるくらいにひとの忠告をまったくきいていないのがありありとつたわってくる返答だ。じつをいえば大沢とおれは十九のころに私立の女子校の更衣室をあらしたことがあって、あれはたしか明治八年のことだからもう時効だとおもうので白状すると、大沢とおれとあともうひとりの三人で衆議院選挙の運動員のアルバイトをしていて、夜中に選挙事務所ででたらめに酔っぱらって、酔ったいきおいでとなりにあった女子校の更衣室にしのびこみ、さんざんあらしまわったあげくの果てにそこをボヤにしてあわてて逃げてきたという過去があって、いつ捜査の手がおれたちのところまでおよぶかとあのときは心底こわかった。どうも大沢はそのときのことをしつこくおぼえているらしく、おれをかつてのエロ暴走同盟の同志みたいな存在に位置づけているらしく、ふつうならそんなさそいは冗談ということでわらいとばしてしまえるのだが、こいつがいってくるとどうも本気じゃないかという気がしてすこしおそろしい。じっさい、じゃあいくか、とおれがいえばいまにも店からとびだしていきそうなくらいの勢いだ。だが、残念ながらおれにはそういう嗜好はまったくないので、バカなことばっかりいってんじゃないよ、というと、うそだようそ、と大沢はわらった。しかし、そのときの大沢の、目の奥にあったひかりがしゅっと消えていったのをおれはみのがさなかった。もしかしたらこいつは、たぶんおれを本気でさそっていて、おれにその気がないとわかったので、冗談ということでごまかしたんじゃないか。おれのでかたをさぐっていたんじゃないか。と、どうにもそんな気がしてきて、だから近辺の中学校で更衣室あらしがあったといううわさはないか、すこし情報収集をしてみようかとおもっている。子供をすくえ。

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September 25, 2004

趙さん家の犬

 たとえばもし19歳の女の子のブロッグをみていて、そのプロフィールの好きなアーティストに「ウィッシュボーンアッシュ」とあったらどうおもうだろう。「へえ、ちょっと変わった趣味だな」とか「そんな子もいるんだね」とか、だいたいそんなかんじだとおもう。ところが、42歳のおやじのブロッグをみていて、そのプロフィールの好きなアーティストに「ウィッシュボーンアッシュ」とあったら、そうはおもわない。「やれやれ」とか「もういい加減そこから離れろよ」とか、そういう、いじわるなみかたさえ、機嫌がわるいひとだったら、してしまうかもしれない。でも、ほんとうのところ、それはどうなのだろう。19歳の女の子でも、42歳のおやじでも、ウィッシュボーンアッシュが好きだという点ではおなじじゃないか。ウィッシュボーンアッシュに対する熱いおもいという点では、おんなじじゃないか。19歳の女の子のウィッシュボーンアッシュをうけいれて、42歳のおやじのウィッシュボーンアッシュをうけいれないというのは、それは不当な差別というものじゃないのか。だいたい、そんなことをいわれてしまったら、おやじは「好きなアーティスト欄」になにをいれたらいいのだろう。いれるものがなくなってしまう。ウィッシュボーンアッシュがだめならプロコルハルムだってきっとだめなのだろうし、かといってグレイとかビーズとかいいだしたらもっといやがられそうな気がする。かわいそうなおやじ。どうして女の子ならよくて、おやじだとだめになってしまうのだろう。ああ、隣の趙さんの家の犬がほえている。うるさくてうまくかんがえがまとまらない。まとまらないけれど、でも、すくなくとも僕は、ウィッシュボーンアッシュのすきなおやじをうけいれようとおもう。ウィッシュボーンアッシュだけじゃなく、そのほかのいろんなおやじをうけいれてやろうとおもう。たとえば、中学生の男の子が1年2組の若林アヤカちゃんがすきだとうち明けてきたとする。ちょっとエッチなことも、チャンスがあったらしてみたいんだ、と白状してきたとする。その告白に対して、僕は嫌悪感なんてちっともいだかない。むしろほほえましく感じたりする。だから、もし42歳のおやじがおなじように、1年2組の若林アヤカちゃんをすきで、ちょっとエッチなこともチャンスがあったらしてみたいんだ、と打ち明けてきたら、僕は、かれを否定してはいけないのだ。きっと。ほほえましくうけとめなくちゃいけないのだ。たぶん。だって、若林アヤカちゃんが好きだという点では、中学生の男の子でも42歳のおやじでもおなじなのだから。きっとそうなのだ。そうなのだろうか。ああ。隣の趙さんの家の犬が吠えている。うるさくて、ちっともあたまがはたらかない。なんてうるさい犬だろう。なんて迷惑な犬だろう。いや、そんな話じゃない。迷惑なのは犬ではなくて、おやじだ。いやちがう。おやじは悪くなかった。たしか、そんな話だった。どんな話だっけ。わからなくなってしまった。もう、なにもかんがえられない。ただひとつ、僕がこの文章でいいたかったのは、趙さん家の犬はうるさいということです。


 子供を救え。


●芸のない方向にデザインを変えてみました。

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September 24, 2004

ある秋の日の午後

ある秋の日の午後、渋谷の交差点で2004年9月24日が1961年11月29日とであった。2004年9月24日と1961年11月29日は道の向こう側とこちら側にいて、信号がかわり、ふたりは歩きだし、交差点のまんなかで向かいあった。道の向こうとこちらにいるときから、2004年9月24日は1961年11月29日から目を離すことができなくなっていた。なぜなら、2004年9月24日にはわかっていたからだ。それは1961年11月29日にとってもおなじことだった。ふたりはおたがいの目をみつめあいながら、まっすぐに歩き、そして、交差点のまんなかで立ち止まり、挨拶をした。
「はじめまして」
「はじめまして」
「よろしくね」
「こちらこそよろしく」
そしてふたりは結ばれた。

おとぎ話です。こんな話をおもいうかべてしまうのは、秋の青空があまりにもきれいで、気持ちがいいから。いい季節がきますね。

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シェフの気まぐれサラダ

どうもちがう。

ちがうんです。

このブログ。

よそのブログをみていると、どうもちがう。

なにがちがうんだろうと考えて、どうも、おれのところは字がおおすぎるんではないかと。

あと、内容なんかももっとなにかこう、ものすごくどうでもいいことを記しておくものなのではないかと。

いやふだんおれが書いてるのもものすごくどうでもいいんだけど。

そうではなくて、こう、「イヌがあくびしてました」とか、「サンマがおいしかったです」とか、そういうのを三行くらいかいとくものならしい。

そんなわけでおれもさっそく見習って、空間を大胆に取り入れてみました。

いかがでしょうか?

いかがもへったくれもないですね。

くそおもしろくもなんともないですね。

失礼しました。

そんでまたなんかぐだぐだかくわけですが、ええと、もういいかげんにしてもらいたいものというのはいまだにたくさんありますが、たとえば「シェフの気まぐれサラダ」ですね。それ、もういいかげんにしてもらえませんか。それこそ、くそおもしろくもなんともない、です。それともなんだ、「シェフの気まぐれ」という食材でもあるんですか? イタリア半島だとかアンデス山脈だとかでとれる野菜かなんかなんですか。そういうなまえの食材があって、それがはいっているというのであれば「シェフの気まぐれサラダ」でもいいですが、そういうわけじゃないんでしょ? ようするにそれ、売れ残りの材料でつくったサラダってことなんでしょ? だったらちゃんと、「きのうの材料の売れ残りの整理サラダ」っていったらどうなんですか。にんげん、正直がいちばんですよ。うちのニョーボなんて、ちゃんと正直に申告してきますよ。「きのうの残りもののスパゲッティー」とか、「冷蔵庫の中身の整理焼きうどん」とか。まちがっても「ワイフの気まぐれランチ」とかいってこないです。えらいもんです。みならってください。もしそんなふううにちゃんと「売れ残り材料サラダ」というのがレストランのメニューにあったら、おれはすなおに感心する。なんて正直なんだろうって。感心して、でも注文はしないけどな。

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September 23, 2004

我命有限

●高村は、そもそもは、かなりいぜんのことになるのだが、おれが家庭教師をしていた女の子である。家庭教師のアルバイトはずいぶんとやった。たわけたやつは多かったが、高村はなかでもそうとうにたわけたやつの部類にはいる。さいしょに高村の家にいったとき、ノートをひろげさせると「我命有限宝田先輩愛続」というらくがきがあって、なんだこれはとたずねると「がめいゆうげんたからだせんぱいあいぞく」という。だからそれはなんのことだとたずねると「我が命あるかぎり、宝田先輩を愛し続ける」とわらうので、さすがにおれもそうとうに嫌気がさした。こんなやつにbe動詞の格変化とか解の公式とかをおぼえさせてなにになるのだろうと、しょっぱなから無力感をかみしめずにはおれない生徒だった。だいたい高村は、約束の時間に家にいってもいないことだってしょっちゅうあったし、いたかとおもえばシンナーのにおいをぷんぷんさせていたり、いちどなんて、女のともだちとふたりでまさにシンナーをすっている場面にでくわしてしまったことだってある。ふたりでラリラリになっていて、これはどうしたものかとおもった。高村はすぐに目をさましたがともだちのほうがひどく酔っぱらっていて、凶悪なめつきでにらむのでおれはすこしこわくなった。それいらい、高村の家にいくときは玄関でみしらぬくつがないか確認してからあがるようになった。こういうろくでもない生徒にあたってしまったとき、家庭教師のとる方策はいろいろあるとおもわれるが、おれのとった方策は放置であった。いまさらこいつに向学心をうえつけるのは不可能だとおもったからだ。本人の自主性を尊重するという得意の逃げ口上で、おれは高村がやる気をだすのをまつことにした。もちろんほっといたらやる気なんてでないのは百も承知である。ただ2時間、高村と世間話をしていただけなのになぜか高村の家はきちんと月謝をくれたし、高村の成績がまったくよくならなくても、なにひとつ文句はいわれなかった。高村の家は地元では通称「迷い橋」とよばれている橋のたもとの、まったくおなじ家が十軒くらいならんでいるところの一軒で、そこでおじいちゃんとおばあちゃんとおかあさんと四人でくらしていた。しかしおかあさんはいちどもみたことがない。いついっても家にはいなかった。おじいちゃんは寝たきりだったらしく、玄関からあがるといつも奥の部屋のフトンに寝ていた。おばあちゃんは真光だか生長だかわすれたが、なにかの信者で、ときどき熱心になにか祈っていた。おばあちゃんにあいさつをして、二階にあがると高村の部屋があった。中央にちいさなテーブルがあって、そこでおれたちはむかいあってすわり、ひたすら世間話をした。話題がなくなるとおれは寝転がってマンガをよみ、高村は手鏡にむかって前髪をいじったりしていた。高村はかおはかわいかった。たぶん男の子たちにちやほやされているんだろうなというのは想像がついた。それで高村も色気づいてしまったのであろう。高村のする話は男の話かバイクの話ばかりだった。仲間うちに気にいらない女がいて、先輩の男たちにけしかけて、その女をさらい、クルマにのせて筑波山までいき、山の中で全裸にして捨ててきたんだ、といった話をうれしそうにしていた。やがて入試の季節になって、あたりまえだが、高村は受験に失敗した。それから高村がどうしていたのかはしらない。その後高村にあったのは高村が二十歳くらいのときで、地元の村さ来にいったら高村がいた。おれたちはびっくりして、それから高村の近況をきいた。高村にはふたりの男の子がいた。恋人ではない。息子だ。高村は結婚し、子供をふたりうみ、離婚していた。相手は、おどろいたことに、宝田先輩だった。しかし宝田先輩は仕事もしないうえ、暴力があまりにひどく、別れたとのことだった。夕飯にカレーうどんをだしたら、どんぶりごと投げつけられてやけどをしたとかそういう話だった。我命有限はどうしたんだよとつっこみたかったが、おれは我慢した。高村はあいかわらず、おれとは完全にちがう世界でいきてるみたいだった。でも、世界がちがうからといって、話があわないとはかぎらない。それどころか、高村とおれは、気があうみたいだった。それからときどき高村に誘われるようになった。いま飲んでいるからこい、という誘いだ。いつも村さ来だった。誘われて、いくときもあったし、いかないときもあった。高村は明るいやつで、いっしょに酒をのんでいるとたのしくはあった。そんなふうに二年ばかりすぎたころ「できちゃったみたいなんだ」と高村がいった。妊娠したといっているらしかった。「だっておまえ、なんだよそれ、男いたのかよ」「うん。まえのダンナ」「はあ? それって、離婚したまえのダンナ?」「うん」おれにはまったくわけがわからないことだった。妊娠してしまったいじょうは籍だけはまたいれるつもりだといっていた。うまれてきたのは女の子だった。しかし、その子がうまれるまえに、まえのダンナとはあんのじょうまた別れていた。なにが我命有限だ、とまたしてもおれは高村につっこみたかったが、いわずにおいた。さすがに三人目の子供がうまれたあとはめったに誘われなくなった。それでも、ときたまは飲んでいた。高村が職をさがしだしたので、紹介をしてやったりもした。インスタント食品をつくる工場の仕事だ。しばらくして、工場の関係者から感謝された。いいひとを紹介してくれた、というのだ。高村の仕事は、おそろしくはやく、しかもきれいで、まちがいがないという。ひとには意外な才能があるものである。いちばんうえの子が小学校の高学年になると、したの子の面倒をみてくれるようになったらしく、高村はまたしょっちゅうおれを誘うようになった。なんどかその子にあったことがあるが、礼儀正しいしっかりした子供だった。すでに自制心というものを身につけているみたいだった。最後に高村にあったのはおれが結婚をするすこしまえだ。「こんどおれ、結婚するんだよ」というと、高村は涙を流してよろこんだ。「よかったねえ」と高村があまりにうれしがってくれたので、おれもちょっとだけぐっときてしまった。それから高村に誘われることはぴたりとなくなった。もしかしたら、たぶん、遠慮しているのだろう。ばかなやつだ、とおもう。

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September 21, 2004

門脇

●高校に入学して2ヶ月ばかりしたころに、けんかをすることになってしまった。古風な表現をすると、果し合いというやつである。これの助っ人をたのまれた。おおいに迷惑である。果し合いをおもいついたのは門脇というやつで、相手は大沢というやつである。なぜかといえば大沢のパンチパーマだとかボンタンだとか目ツキだとかが気にいらんということであるらしかった。それでどちらが強いのか、シロクロをつけようではないかということであるらしかった。痛そうなのとか危なさそうなのとかの大嫌いなおれにはまったくわけがわからんことではあるものの、基本的にこういうバカどもがおれのしらないところで淘汰しあってくれてるのはのぞむところだった。おおいにやりたまえ、だった。ところが、バトルの予定日が目前にちかづいたある日、門脇がバイクの事故で片足を骨折した。片方の足を石膏で固めて両手で松葉杖をついて学校にあらわれて、果し合いはどうなるのかとおもっていたところ、門脇はさらにわけのわからないことをいいだした。門脇と大沢でひとりずつ助っ人をつれてきて果し合いを予定通りとりおこなうというのである。しかも大沢は助っ人をおれにたのむというのである。もう、ぜんぜん意味がわからない。だいたい1対1でやるはずがなんで骨折をすると2対2になるのか。それはふつう延期するものではないのか。骨折しているのに戦うのはなぜなのか。2対2になればなにか骨折の状況がかわるとでもいうのか。骨がくっつくとでもおもっているのか。おまえらアタマのなかは大丈夫なのか。まったくこの手のバカどものかんがえつくことは意味不明である。ので、当然のごとく助っ人の儀は固辞した。しかし大沢はどうにもたのむという。ほかにたのめるやつがいないのだという。じつをいえばそのころ大沢はおれとコンビで、ふだんつねに一緒にいるやつだったのだが、大沢が門脇に目をつけられた瞬間におれは大沢とはともだちでいるのはやめようと決心をしていた。薄情なようだが大沢もおれとおなじ立場であったらまったくおなじことをしたはずなので、これについて良心の呵責といったものはまるでない。だいたい大沢も日頃からおれと一緒にいるのだから、こういう話になればおれはまったく役立たずの戦力外通知であることくらい承知しているはずである。なんでおれなのか。ほかにいないのか。そんなにもきみには人脈がないのかと情けなくなった。しかし、そのころ大沢は別名を「上を下への大沢」といって、こいつと関わりあいになるとロクなことがないというのはすでにひろく知れ渡っていたので、いまさら大沢に加担しようというやつが現れないのはとうぜんのことであったかもしれない。ならばいっそ、門脇に謝っちゃえばどうだ、とおれは大沢にもちかけてみた。はじめからタイマンとかそういうのは回避したらどうだ。おれならぜったいにそうするが、と説得した。しかし大沢は、それだけはどうしてもできないという。男の意地とか、そういうものであるのだろう。ご苦労なことである。大沢がほとんど涙目でおれに助っ人をたのんでくるので、さすがにおれも根負けをした。ここで恩をうっておいてもバチはあたるまいとおれは引き受けることにした。とはいえもちろんおれは殴り合いのけんかなんてまったくするつもりはない。おれの相手、つまり門脇の助っ人はだれなのかとしらべると、Йというやつだという。このときはじめてЙというやつの存在をしったおれは、さっそくこのЙのところにネゴシエーションにでむいた。こんなわけのわからん暴力沙汰にまきこまれて、おれ、まったくやる気ないんだけどおまえはどうなの? やるの? という感じで話をしにいったところ、Йはべつにどっちでもいいという。じゃあやめようよ、おれ、やる気ないからさ、門脇と大沢にやってもらって、おれたちはうしろで見物していようよ、というかんじでお見合いのときの仲人さんみたいな裏協定をむすんでЙとの交渉は成立した。Йさえその気がなければ問題はない。門脇はやる気まんまんのようだが、こいつは骨折している。いざとなったら走って逃げればいい。いくらなんだって骨折してるやつに追いつかれることはないだろう。万全の体制をととのえたところでおれは大沢と決戦の場におもむいた。門脇は小学生時代に柔道の全国大会で優勝したそうで、「柔道少年日本一」という凶暴な肩書きのもちぬしで、筋肉質で、体格もおそろしくよく、運動能力もずばぬけている。ふつうにやれば大沢には勝ち目は1パーセントもない。しかし、片足骨折である。ラシュワンは山下泰裕の痛めた足を攻撃せずに美談のひととなったが、これはけんかである。なんでもありである。大沢が恥も外聞もなく門脇の足をせめれば、番狂わせもありうる。いったいどういうことになるのか。なにが起こるのか。なにかが起こってくれるのか。興味はおおいにある。暴力沙汰は、じぶんでやるのはまっぴらだが、見物はだいすきだ。しかもこの場合は、助っ人という名目でいちばんまえで見物ができるというのだからたまらない。おれはわくわくしてその場へむかった。金曜日の放課後、第2グラウンドとよばれていたところで、放課後になればだれもいなくなる。ここに野次馬見物人をふくめて三十人ばかりの男どもが集まった。門脇と大沢が中央にでてきて、学らんをぬいだ。ついでにふたりともワイシャツまでぬいで、上半身はランニングシャツ一枚になった。門脇は松葉杖をちかくにいたやつにわたし、片足でたった。勝負は数秒で終わった。無防備にちかづいた大沢を門脇が投げ飛ばし、そのまま寝技の体勢になった。袈裟固めだか横四方固めだかしらないが、がっちりと門脇は大沢をおさえこみ、片腕のひじで大沢の首のつけ根のあたりを圧迫している。門脇の太い腕に血管がうかび、大沢の顔色はみるみるしろくなっていく。「まだやんのかよ?」と門脇がいうと、大沢の全身が弛緩した。戦意喪失したらしい。もしかしたらここで助っ人の出番だったのかもしれない。助っ人はここで大沢のピンチをすくうべく、門脇の背中あたりにキックをおみまいするところだったのかもしれない。しかし助っ人にはそんなつもりはまるでなかった。助っ人ってだれだ? あ、おれか。だが、おれにはそんなつもりはまったくなかった。片足でだれかを投げ飛ばしてしまうような化け物にはむかうつもりはまったくない。むしろこの場面では、あまりのふがいなさに大沢のあたまをけとばしたいくらいだった。簡単に門脇と大沢の勝負がついてしまったので、もうだれも助っ人のことなどいいださなかった。どうでもよくなってしまったのだとおもう。おれもどうでもよくなってしまった。門脇のばかげた強さと、大沢の弱さをくちぐちに語りつつ、パーティーは終了し、烏合の衆は解散となったという、この話はこれでおわりである。
●余談1 門脇戦記はこの後もえんえんとつづく。十代後半の男の子というのはどうもむやみやたらと元気というかやる気というか衝動というかそういうものがもてあますくらいにあって、なにかをしでかさずにはおられない気ぶんで毎日すごしていて、それが暴力的な方角にむいてしまうやつというのは大量にいたわけだが、門脇もまたそういうやつのひとりであった。つまり、もてあましたエネルギーのありったけを少年マガジンのヤンキー漫画的な方向にむけてつっぱしってしまって、気合いだの根性だの度胸だのといいだすタイプだ。門脇がとくべつだったのは、たまたま超人的な肉体をもっていたことだった。体育の授業でラグビーをやったときに、六人くらいの相手のチームのやつをひきずりながら前進しているところをみたことがある。怪獣みたいなやつである。そういう身体能力があって、しかもどうもこいつは高校に入学してくるさいに「シメル」とか「制圧」とか「ボス」とかそういう邪悪な目標をいだいてきたらしい。まったくもってじつにはた迷惑である。そんなわけで門脇はその後えんえんと戦いの歴史をきざんでいくわけだが、「それはまたべつの話」というやつである。だいたいかんがえてみたらおれはそんな、男の子のけんかとか抗争だとかはあんまり書きたくないのだった。そういえば。興味もないし。門脇とは、高校を卒業してから十年くらいしてから、いちどあった。たまたま町中ででくわした。そのとき門脇は、サングラスをしていたが、そのかおには無数のキズの縫い目があった。あんなかおのやつはみたことがない。かおじゅうすべてが縫い目のツギハギだった。よお、ひさしぶりだなあ、とあいさつをしたあとでおれはおもわず、「おまえ、そのかお、どうしたんだ?」ときいてしまった。とたんに門脇はうろたえたので、おれはしまったとおもった。おとなとして、デリカシイというものに欠ける質問だったといまは後悔している。
●余談2 Йに関して。そもそもおれは、Йについて、あまりにみくびっていた。身長がそれほどたかくないやつだったからだ。おれより10センチくらいはひくかった。それであまくみていた。だが、もしかしたら、こいつは本気になったら門脇よりも強かったかもしれない。こんなやつとへたをしたらけんかをしていたかもしれないのだ、と気がついてあとでおれはすこしこわくなった。高校を終えてすこししてから、ともだちが「Йがテレビにでてるんだよ」といっておれにテレビをみせた。Йはバスケットボールチームの選手として、たけしの番組にでていた。準レギュラーみたいなかたちで、毎週バスケットをしていたようだ。そのなかで、Йは、異世界の超人のような活躍をしていた。おれはあんなに素早く動く人間というのをみたことがない。どうりであの門脇が助っ人に指名したわけだとなっとくした。けれど、おれがほんとうにおどろいたのは、そのことではない。Йの髪型である。もともとЙは禿げるタイプだとはおもっていたが、このとき、Йは21歳か22歳か、それくらいにしてすでに頭のうえ半分がつんつるに禿げていた。しかも、なにをかんがえているのか、側頭部はまだ毛が残っていたのだが、これをのばし放題にしていた。けっきょくЙは、落ち武者の髪型になっていた。落ち武者の髪型で、テレビのなかで、バスケットボールを目にもとまらぬ素早さでドリブルしながら切り込んでゆく。落ち武者の髪をふりみだして。超人的なスピードで。なにがおまえをそうさせているのだ、とおれはテレビに問いかけたくなった。なんだか、みてはいけないものをみているような気ぶんになってきた。高校のころの知り合いでそういう気ぶんにさせられたのは、あともうひとり、Jというバレー部のセッターだったやつが高校を終えたよく年に「さぶ」というホモ雑誌の巻頭グラビアを飾っているのをたまたま本屋で立ち読みしていてみつけたときと、Йの髪型と、このふたつくらいである。
●余談3 「上を下への大沢」こと大沢の首には、門脇と戦ったあとしばらく、内出血のあとが残っていた。それは門脇のばかげた強さの象徴のようにみえた。「しかし、それにしても、片足のやつにあんな簡単に負けるかね?」というのがその後大沢に対してもちいられるつっこみとなった。そしてそれは、いまでもそうである。大沢はやがて地元で飲み屋をひらいた。まだつぶれずにやっていて、年にいちどくらいはおれもそこへいって、いまだにしつこくいってやる。「しかし、それにしても片足のやつにあんなに簡単に負けるかね」大沢はそのたびに「うるせえ」と逆上する。

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風に吹かれて

洋式の便器にはじめてでくわしたとき、ただしくそれをつかいこなせたひとはどれくらいいるものなんだろう。そうだ歴史の話だ。いまではもう様式便器はありふれていて、まちがえるひとなんていない。現在のこどもたちは、うまれたときから世の中のいたるところにあれが存在していて、だからものごころがつくころにはもう勝手がわかっている。だが、いまから四十年くらいいぜんにうまれたこどもにとっては、そうではなかった。身のまわりにある便所はすべて和式で、そのかげで、つまりおれのしらないところで洋式便所はひそかに増殖をつづけていて、そしてとつぜん、なんのまえぶれもなくやってくる悪い知らせみたいに洋式便器はおれのまえにあらわれた。そしておれはながいこと、洋式便所においてあやまった方向をむいて大便をたれていた。どれくらいあやまっていたかというと、具体的方角的にいって、180度あやまっていた。180度あやまった方角をむいて大便をたれていた。といってももちろん、逆立ちをして大便をしていたわけではない。あたりまえだ。そんなのは人間の本能として、まちがっているのはわかる。そうではなくて、まえをむいて用をたしていたのだ。それはなかなか微妙で困難な姿勢だったが、小学四年生の夏になるまでそうだった。なんでそうこまかい話になるかというと、四年生のときクラちゃんというともだちの家であそんでて、かれの家の便所は洋式だったのだが、それをかりて大便をたれてるところをクラちゃんにのぞかれてしまった。クラちゃんは、おれのやりかたがおかしいと指摘してわらった。それではじめて、洋式便所で大便をするさいのしきたりをおれはしった。ありがとうクラちゃん。きみはおれの恩人だ。もしかしたらおれのじんせいにおいて、きみほどの恩人はほかにいないかもしれない。だって、きみが教えてくれなかったら、いまだにおれはまちがった方角をむいて大便をしていたのかもしれないのだから。クラちゃんにわらわれて、それではじめておれは正しい洋式便座の腰掛け方向をしった。おぼえたてのころは、野糞をしてるときみたいなたよりなさ、おちつかなさを感じたものだが、いまではもうすっかり慣れた。百戦錬磨といっていい。だが、脱糞姿勢はそれでいいとして、じつをいえばそのあとにまだ疑問が残っている。トイレットペーパーはまえからあてるのか、うしろからあてるのか、それがいまだにわかっていない。かといってひとにきくこともできず、いまだになやんでいる。あれはどちらからあてるのがただしいのか。そのさい合理的な理由というのはあるのか。おれにはわからない。わからないまま、そのときの気ぶんで、まえからあてたりうしろからあてたりしている。こんなどっちつかずの、いきあたりばったりなことではいかんとおもいながら。それでもおれには決めかねて、トイレットペーパーをあてたあとはいつもすこし自己嫌悪になる。悩み多きじんせいとはおれのじんせいみたいのをいうのだろう。いったいおれのじんせいの、すべての悩みが解決するのはいつなのだろう。どれほどの大便が通過すれば、おれの肛門期はおわるのだろう。友よ、そのこたえは風に吹かれている。

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September 19, 2004

牛久沼の夜はふけて

●ハコネに旅行にいくのだが、それについてかんがえているうちになにかこう、えもいわれずこのうえなく幸福な気もちになってしまい、ちょっとだけこの幸福感をかみしめるべくひとり部屋にこもって少年隊の「仮面舞踏会」をかけて踊りくるっていたらニョーボに覗かれて、そしたら怒ってまた相手をしてくれなくなってしまった。旅行の準備もせずになにひとりで踊っているのかと。なんでわたしばかり旅行の準備をしなければならないのかと。そういうことならしい。そんなこといわれもこまる。じぶんだってときどき踊るくせに。お姉さんだっていってたじゃないか。日常生活のなかで無意味にときたま踊るヘキのあるのは家族のなかできみだけだと、お姉さんに指摘されていたじゃないか。
「マチコはときどき踊るわよねえ」
「えっ、わたし? 踊る? 踊らへんよお」
「踊るって。いやほんま。たまあに」
「どんなふうに?」
「なにかこう、じたばたと。手足を。うごめかす?」
「ええ〜? せんよお」
「するって。ほんまに」
というようなことをいわれてたじゃないか。それで、そのころはまだおれはニョーボの踊りはみたことがなかったので「へえ、こいつ踊るのか」とおもっていただけなのだが、しばらくするうちにたしかに踊るのをみるようになった。ふしぎな踊りである。これはなんの踊りなのかとおもっていたが、その後シコクにいって阿波踊りをみて、あ、これがニョーボの踊りの原型か、とおもいあたった。阿波踊りの女踊りをだいぶん緩慢にして、さらにタイ風の踊りも加味し、なおかつもうちょっと動作をおおげさにしたものとおもっていただいてよろしい。でもそもそもこんな話、だれかになにかの影響をおよぼすわけでもないので、どうともおもわないでいただいてもますますよろしい。とにかくさあ。だからさあ。いっしょに踊ろうよ。ハコネ。たのしいじゃん。準備なんていいからさ。踊りましょうよ。トゥナイヤイヤイヤイヤディヤ〜。

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September 15, 2004

本をよむ

●ほんじつの晩ごはん:ナシゴレン。野菜スープ。なすとあぶらげの煮たもの。ナマハムサラダ。ブドウ。
●石黒達昌「平成3年5月2日,後天性免疫不全症候群にて急逝された明寺伸彦博士,並びに」 ビデオ「ウルトラQ『1/8計画』『虹の卵』『2020年の挑戦』」
●ここだけの話だが、じつは本というのがよめない。まったくよめないわけじゃないが、たいていよめない。そもそも本なんて、めったにひろげない。ひろげないところにもってきて、よみつづけることができない。理由は、かったるいからです。すぐに飽きて、ほうりなげてしまう。そのてんマンガはさすにがよんでいられるなあと、いぜんはおもっていたのだが、さいきんではマンガもよんでいられなくなってしまった。ときどき、いっぱい本をよんでるひとがいますが、本をよむひとってすごいです。すごいというか、ちょっとふしぎ。こんなこってはいかんとおもい、この「平成3年5月……」は、もう、意地でもよんでみた。四日くらいかかってしまった。でもさいごまでよんだ。いちおうさいごまでよんではみたが、なにがなんだかさっぱりわからないまま、たんに文字を目でおいかけているだけであった。なにこの本?
 ところで本をよんでいておもったのであるが、それは当然フトンのなかにねころんでよんでいたわけなのであるが、だいたい本て、ねころがって、よこむいてよむじゃないですか。本というのはひろげると両側のページに文字が印刷されているわけですが、たとえば左をむいてねころんでよんでいると、右側のページはたいへん調子よく、景気よくどばどばよめるんですが、左のページがはなはだよみづらい。しょうがないので寝返りをうって、右をむいてねて、左側のページをよむ。しかしすぐにおわってしまってまた右のページになる。よみづらいので、また寝返りをうって左側をむく。そのくりかえしになってしまって、めんどくさいことこのうえない。1ページおきに右をむいたり左をむいたりなんだかいそがしい。目がまわる。しんどい。しょうがないので仰向けになって、両手で本をうえにもちあげてよむ。あんのじょうすぐ手が疲れる。あきらめて本をおろし、左をむいてよむ。左のページがよめなくなる。寝返る。よむ。右のページがよめなくなる。うだうだ。じたばた。なんか、本をよむのって、いがいと重労働だとおもいました。たとえば右側なら右側だけに印刷をして、左のページは空白なんつう本を出版してくれたらいいのにと切におもいます。

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September 14, 2004

有害

●ほんじつの晩ごはん:トリ丼。冷や奴。なすとあぶらげを煮たもの。みそしる。具ははくさいとイモ。サツマイモか? あとブドウ。
●つげ義春「必殺するめ固め つげ義春漫画集」
●有害。有害サイトだとかの有害だ。有害というが、それはほんとに有害なのだろうか、とかんがえた。有害といわれるサイトをのぞいても、そんなのぜんぜん無害じゃないか。無害どころか、有益ですらある。いやこれは個人的見解だが。ともかく、すくなくとも、有害ではない。エロサイトというならわかる。たしかにエロだ。でも、ちっとも有害じゃない。有害のはずがない。だいたいエロが有害だったらとっくのとうにじんるいは滅んでいる。そうだろう? 有害というからには、ガスとか、光線とか、ダイオキシンとか、バイオハザードとか、最終兵器とか、そういうものであるはずだ。エロのなにが有害だ。どこがダイオキシンだ。バイオハザードだ。最終兵器なのだ。いやたしかに巨乳最終兵器とかいわれるとそれはどんな最終兵器なのかとはおもう。しかしその最終兵器は有害じゃない。ぜったいに。無害なのかと問われればそれも返答にこまるが。でも有害じゃない。有害とか無害とかいった問題ではないのだ。ではいかなる問題であるのか。それはおれにはわからん。ただひとつ、エロというのは、日のあたるところからは遠ざけておくべきものではあるとおもう。もやもやとしたところに隠しとどめておいてこそのエロではある。それはおおいに認める。バターになるくらい認める。だが、だからといって有害というのは、やっぱりそれはちょっとちがう。だいたいおれがかんべんしてもらいたいとおもうのは、エロを有害だとよんで、そういった有害なものから子供たちをまもっているのだみたいな、その高慢なおもいあがりである。いい加減にしてはもらえまいか。そんなこといってほんとに世の中からポルノグラフというものがなくなってしまったら、どんなにつまらない世の中になるか、かんがえたことはあるのか。いやおれはまだいい。もうけっこうみてきたからいい。でもせめて、子供にくらいはポルノをみせてやれ。もちろんあからさまにみせるのではなく、こっそりと隠れてみせてやってくれ。こっそりと、おとなに隠れてエロ本を盗み見る十二歳。子供のころにそういうのをみとかないと、きっと情緒的発育に問題がしょうじるとおもう。気のせいかもしれんが。すくなくとも、さびしいじゃないか。そういうのがないと。みせといてやろうよ。こっそりと。というのがおれの意見。おしつけるつもりはない。もちろんなかには、ポルノを有害だとさわぎたてるやつがいたっていい。百人にひとりくらいはいてもいい。いやむしろそういうのがいてくれないとこまるかも。百人にひとりくらいそういうのがいて、百人に十人くらいおれみたいのがいて、そのうちふたりくらいはロリコンで、そうやってもし世界が百人の村だったら、ひとりは死につつあり、ひとりはうまれようとしているのです。なんだそりゃ。

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September 13, 2004

●ほんじつの晩ごはん:焼き魚さんま。れんこんとぶなしめじを炒めたもの。なすの味噌汁。米(ことし初の新米)。梨。
さんまを食いつつ「さんまにがいかしょっぱいか」とつぶやくと、「ジブンさんま食べるたびにそれゆうなあ」とニョーボにいわれすこし傷つく。
●つげ義春「つげ義春の温泉」 レンタルDVD「池袋ウエストゲートパーク3」後ろはんぶん。
●梨くいました。梨。ナシ。皮むきました。二週間くらいまえニョーボに「梨むいて」とたのまれたときは「むいてもいいけどおれ、すっっごいヘタだぞ? くうとこないぞ? なくなるぞ? そんでもいいか? だめだろ? いやだろ?」とことわったんだけど、そんなことではいかんかなと今夜はむいてみた。ユビつりそうになりました。ユビ。どうもなんか、どっかヘンなところにチカラがはいっているらしい。まあともかくがんばってむいて、むきながらおもったこと。梨ってときどき、まずいのがあるじゃないすか。まずいというほどじゃないかもしれないけど、あんまりうまくないやつがあるじゃないですか。そんでおもったんだけど、なんであんなのつくるの? うまいのつくりゃいいじゃないすか。うまいのだけつくってりゃいいじゃないすか。そんでみんなしてうまいうまいいってくって平和じゃないすか。それをなんでわざわざ手間ヒマかけてまずいのつくんの? しかもまずいとみんなくわないんだよ? ムダじゃん? 労力のムダじゃん? ねえ? どうなの? こんなさあ。苦労して皮むいて、まずかったら悲惨じゃん? なあ? とニョーボにチカラづよく訴えると、相手にされませんでした。そのうち皮むくのがますますめんどくさくなってきて、「なんで梨、皮あるの? なあ? なんで? さいしょっから梨、皮なんてなくていいじゃん。どうせむくんだから。皮ない梨、つくれないの? つくれんだろそれくらい。だっておまえ、パソコンなんか、512メガとかいってんだぞ? こんなのついこないだまで、128キロとかいってたんだぞ? それが512メガだぞ。メガだメガ。それくらいできんだから、梨だって皮、なくせんだろうがよオイ。なあできんだろそれくらい。なあ?」とまた訴えると、またまた相手にされませんでした。宙に浮くおれの魂の苦情。ちょっとむかっときましたが、しかもそのときおれの手には包丁があって、これでニョーボのハラをぐさ〜っと刺したろかとおもいましたが、そんで新聞でちゃってその見出しが「夫が妻を衝動殺人。梨の皮、なくたっていいだろ」というのもさすがにアレなんで、いちおうおれもこらえました。そのうち皮がむけて、くってみたらうまかったんで、どうでもよくなりました。梨うまいす。梨は桃のつぎくらいにすきっす。
●きょうおもしろかったインターネット
「形状を把握するために、自分の顔を石膏で型をとりました。」(2chの「日本語→英語スレ」)
…訳してもらいたい日本語をかきこむと、だれかが英語に訳してくれるというたいへんにありがたいスレらしい。ありがたすぎる。きょうもみんないろんな事情をかかえていろんな文章を英語にしたがっています。でも、形状を把握するために自分の顔を石膏で型をとる事情というのは、どんな事情なんだろう?

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September 09, 2004

中の人

 こんなふうにネットで日記をつづけていると、ネタ帖というものの必要性をかんじることがある。日常のなかで、ふとおもいついたこと。日記にしるしておくねうちがあるんじゃないかとおもえること。そういうのをつけて記しておくネタ帖だ。おれだって、ねんがらねんじゅうパソコンのまえにいるわけじゃない。おもいついたことをつねに、その場でひとつの文章にするなんて不可能だ。だから、あとで時間のあるときにまとめようと、ネタ帖にはキーワードなりなんなりを記してておく。そういうネタ帖。おれ自身はそういうものはこれまでつくったことはない。そのかわり、ちかごろは携帯電話をメモ帖がわりにすることがある。それと、会社のパソコンをつかうこともある。ふとおもいついたことを、自分のプライベートのアドレスにメールで送っておく。メモがわり。あとでいえにかえって、よんで、なにかのヒントにでもなるかもしれない。溺れるものがつかむワラていどのメモ。
 しばらくまえ、会社のおひるやすみ、おれは自分の席で食パン二枚と水のランチをすませて、ネットをしていた。たまたまちょっとわらってしまったことがあったので、その印象を自分宛にメールしておいた。その内容は、ほんとうにわれながらくだらないもので、ここにかくのが恥ずかしいのだが、これをかかないと話がすすまないのでかいておく。このときおれが自分宛てに送ったのは、こんな1行だった。


     中の人


 これは、たまたま妊婦さんの日記のページをみていたら、お腹のなかの子を「中の人」と呼んでいて、たしかにそれはそのとおりなのだが、ちょっとなんだかわらってしまったので、それで送ってみた。だからどうしたわけじゃない。たんに、おれは今日、こんなものをみてわらいましたよ、というメモだ。しかも他人がみたらさっぱり意味がわからない。じぶんだけにつたわるメモ。でもネタ帖なんていうのは、基本的にこういうものだとおもう。たいせつなものは、メモなんてとる必要がない。おぼえているからだ。おぼえていられないものは、メモにして、キーワードだけを残しておく。そしてすっかり忘れてしまう。しかし、このメールのことは、なぜかおぼえていた。だからその夜、自宅にもどり、パソコンをたちあげてメールチェックをしたとき、このメールがはいっていないことに気づいて、おかしいなとおもった。ちょっとだけ悪い予感がした。よくあさ、会社のパソコンをたちあげて、メールの送信リストを確認した。そして愕然とした。たしかにおれは、このメールを送っている。だが、その送付先がいけない。おれは、会社の取引相手のところにこのメールを送っていた。よその会社のぜんぜんともだちでもなんでもないひとに送ってしまっていたのであった。ちかごろのパソコンソフトというのは、自動入力機能というのかなんというのかよくしらんが、最初の1文字をいれただけでそのあとの文字列がずらっとでてくることがある。まえに入力した内容を記憶していて、それをひっぱりだしてきてくれるのだ。便利といえば便利だが、こういう事故が起こる可能性をかんがえると、諸刃のツルギである。しかも被害は甚大である。社外秘を送ってしまったとかいうわけではないので、会社的に被害はないが、個人的にはたいへんな被害である。じっさいおれはこのあと目の前が真っ暗になった。送った相手のことは、いちおうしってはいた。かりにここでは中村さんということにしとく。中村さんとは、電話で二、三度話をしたことがある。あったことはない。電話だけ。ちょっと冷たい感じの声の女のひとである。仕事の話をしていたのだから、あたりまえといえばあたりまえだが。もちろん世間話なんてしない。あいさつだって、いつもお互いに儀礼的なものをかわすだけ。非情緒的。つけいるスキのないかんじのひとだった。よりによってそんなひとに、こんなメールを送ってしまうとは。どうしよう。嫌がらせ。変態。ストーカー。そういったマイナスイメージの単語がうかんできた。告発。抗議。謝罪。解雇。そういう暴力的イメージの単語もうかんできた。無職。無収入。借金。夜逃げ。逃避行。富士山。樹海。しまいにはそんな、破滅的みなさんさようなら的イメージの単語さえでてくるしまつだ。どどど、どうしよう。どうしたらいいんだ? ここはひとまず中村さんに、あやまりのメールをいれるべきだろうか。でも、どうやって? なんてかく? 間違えましたっていうのか? だけど、なにをどう間違えたというのだ? どう説明するっていうんだ。中の人。変だろう。明らかに。あやしいだろう。完全に。だって、中の人だよ? そんなメール、だれに送るっつうんだよ。しかも会社から。ふだんなにをかんがえてるんだよ。なにやってるんだよ。そうおもうよなあ。ふつう。おもわれてるよなあ。まちがいなく。うがが。どうすんだよ。どうすんだよこれ。うががががが。というかんじで、ふだんから手についていない仕事はいよいよもって完璧に手につかない。けっきょく小心者のおれは謝罪のメールもだせず、モニターのまえであたまをかかえたまま午前中をすごし、ひるになってまた食パン二枚と水の昼食をぼそぼそと陰気にとっていたところに、中村さんからメールがきたのであった。中の人の返信である。ききき、きたか。抗議のメールが。そのときおれは目の前に樹海への一本道がみえたような気がした。暗澹たるこころもちでマウスをうごかし、開いてみると、ところがそこにあったのはこの1文字であった。


     ?


 ほかになにもない。ただ1文字、「?」である。「?」。クエスチョンマーク。疑問符。ときには、はてなとよばれる。なにかをたずねたり、ふしぎにおもったりしたときにつかう記号。ありふれた、よのなかにみちあふれた記号。あまりにありふれていて、ふだん気にとめたことのなかった記号。じっさいこれまでのおれの生涯においてこの記号が、これほど大きな意味をもったことはかつてなかった。中村さんは、「?」と。つまり、「なんですかこれは?」と。さらにいうなら、わたしゃ怒ってませんよと。ただちょっととまどいましたよ、と。できたらなんのことか教えてチョーダイ、と。とにもかくにもおれはすこし安心した。とりあえず相手が怒ってないことがわかったからである。ぜったいに怒っていないのだろうかといわれると、すこし心配だが、でも、あんまり怒っていないんじゃないかとおもわれる。すくなくとも、怒りにまかせて抗議とか、コトをオオヤケにとか、ただちにそういうことはなさそうだ。それどころか、「?」はちょっと、フレンドリーでさえある気がする。これなら懐柔の余地がある。ごまかす余地がある。ような気がする。だが、とおれはかんがえた。ここであせってはいけない。よくかんがえろ。どうすればいちばんいいのか。むかしから、女をだますのだけはとくいだったじゃないか。落ち着いて、よくかんがえるんだ。じぶんにそういいきかせて、それから自分史上最大の集中力を発揮して送った返信はつぎの1行である。


すいません。間違えました。ごめん。


 余計なことはいっさいいわず、慇懃すぎず、かといって慣れなれしすぎず、無表情に、だがありったけの気もちをこめて、いいたいことをしっかりと伝えた一文である。中村さんがどんなひとか、よくはしらない。でもきっとこれでどうにかなるはずだ。これ以上、なにかいわれることはないだろう。これで、話はおわるはずだ。そう祈りつつおれは送信ボタンを押した。やれやれ。ひとまず一段落。のはずだった。中村さんからつぎの返信がきたのは、翌日のやっぱり昼休みのことである。新着メールがとどいて、それが彼女からのものだとわかったとき、またおれはぎくりとした。おそるおそるひらいてみると、そこにはこうかかれていた。


中の人はいなかった?


 おれはすこしおどろいた。こんな返事がくるとは、おもっていなかったからだ。それから、すこしずつおかしくなってきた。そのときおれの瞳のなかにはきっと、とうに失っていたかがやきがすこしだけよみがえっていただろう。彼女からのメールには、親しみというものがあった。彼女は怒ってなんかいない。それどころか、なぜかはわからないが、好意的でさえあるようにみえる。たぶん中村さんは、「中の人」に好意的なひとなのだろう。きっとそうなのだ。じんせいには、流れが変わるのを実感するときがある。たとえば無死満塁のピンチをきりぬけた次の回、先頭打者が初球ヒットで出塁。あるいは、だれかが大三元を聴牌しているのをクイタンのみで流して、つぎの局のツモがさくさくとはいりだす。流れが変わった、と実感するときだ。そんなときはなにをやってもうまくいくような気がする。しかもじっさい、うまくいくから、運とかツキとかいうものについて、にんげんは語るのをやめることができない。そしておれはまさにこのとき、流れが変わったのを感じていた。この日おれははじめて中村さんに、すこしながめのメールをかいて送った。


うん。いませんでした。
ところで…云々


 翌日のひるやすみに、中村さんから、やっぱりすこしながめのメールがとどいた。おれの送ったやつとちょうどいいバランスがとれるくらいのながさの、楽しいメールだった。それからどうなったかというと、じつはいまだにメールのやりとりをつづけている。食パンを水でながしこみながらおれはそれをよむ。これがメル友というやつか。たあいのない世間話をして、ちょっと相談ごとをもちかけられて、ときにはぐちをこぼしあって、そういうやりとり。でもまさか、こんなふうにはじまるメル友がいるなんて、中の人だっておもっていなかっただろう。


余談:ところでその妊婦さんはぶじに出産をおえて、再開された日記によると、母子ともども元気でいるみたいです。おめでとう。

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September 05, 2004

全米ひろしといえども

「全米」である。そんなに「全米」「全米」いわれても信憑性というものがまったくないよというこの「全米」である。結論からいって、「全米」はたしかに存在した。わたしはそれを、みつけたのだ。ひとりの人間として、「全米」は存在したのである。私がどうやって「全米」を発見したか、その経緯をこまかく記してみなさんを退屈させるつもりはない。とにかく彼はいたのだ。彼は日本にいて、現在、妻とふたりの子供をやしなっている成年の男性である。今回わたしは、彼にインタビューをする機会をえたので、それを紹介しよう。
「こんにちは、はじめまして」
「はじめまして、全米です」
「おなまえを、フルネームで教えていただいてよろしいですか」
「全米ひろしです」
「ははあ、たしかに全米ですね」
「はい」
「日本人ですね」
「そうです」
「全米さんは、ふだんはなにをなさっておられるのですか」
「映画の試写会によばれることがおおいですね」
「そこでなにをするのですか」
「もちろん映画をみます。そして、感想をもとめられます」
「どのような?」
「簡潔に、一言だけ、感想をいうようにいわれています。『驚きました』とか、『ドキドキしました』とか。それを映画の広報担当者につたえます。私のコメントをもとに、「全米が衝撃!」だとか、「全米が興奮!」だとか、そういう惹句がつくられるみたいですね」
「なるほど」
「あと、わたしが映画をみている最中の反応なども、ずっと観察されています。涙を流したりとか、わらったりとか。そういうことがあると「全米が泣いた!」とか「全米が笑った!」とかいうふうになるみたいです」
「なるほど。そういうことだったんですか」
「はい」
「ふだん気をつけていることなどはありますか」
「そうですね。なるたけ、喜怒哀楽ははっきりあらわすようにしています。たとえば映画をみていて驚いたときも、ただ驚くだけでなく「ぎゃっ」と叫べば、「全米が悲鳴!」というふうになるでしょう?」
「たしかに」
「そもそも、映画をみていて、はじめからおわりまで仏頂面でいたりしたら、つぎからは呼んでもらえませんからね」
「呼ばれないとこまるんですか」
「こまります。わたしはそれで若干の謝礼をもらって、そうして生計をたてています。あとは、新刊をよんだりとか、テレビ番組をみたりとか、ですね」
「そこでもやっぱり、感想をのべるわけですか」
「そのとおりです」
「なにか、こまることなどはありますか」
「そうですねえ。とくにありませんが、箸にも棒にもかからないような、退屈な映画をみさせられたりとか、そういうときはわたしも反応にこまりますね。まあ、どんな映画にもどこかしら取り柄はあるものなので、なんとかよいところをみつけて反応するようにしています」
「大変ですね」
「はい。じぶんも、責任の重さというのは痛感しています。ですから、いつも自分には正直でいるようにしています」
「といいますと?」
「うそはつかないようにしている、ということです。おかしくもないのに無理して笑ったりとか、ちっとも感動していないのに『感動しました』とコメントしたりとか、そういうことはしないようにしています。やはりこの仕事は信用が第一ですからね。それでだれかが犠牲になるとしても、うそはいけません」
「『だれかが犠牲になるとしても、うそはいけない』……いい言葉ですね」
「ありがとうございます」
「いえいえ、こちらこそ、おいそがしいところをありがとうございました」
「こちらこそ、お役にたてれば光栄です。では失礼します」
 以上のように、全米氏はじつに礼儀正しい、さわやかな、しっかりした好人物であった。「全米」に対するわたしの長年の疑問は、こうしてすべてが氷解した。そしてわたしは、全米氏が好きになってさえいた。最後に彼が立ち去ろうとするのを呼びとめて、わたしはたずねた。
「すみません、あともうひとつだけ。あなたはこれまで、うそをついたことはいちどもない?」
 彼はすこしおどろいたようだった。「うそ、ですか?」
「そうです。いちどもないんですか」
「そうですねえ」彼はしばらくかんがえこんだ。「ありません」
「たとえば、謝礼を多く支払うから、お願いしますよ、とかなんとか」
「なるほどね」彼はわたしの質問の意味を理解したようだった。「たしかに、実際、そういうことはときどきあります。でも、さきほどもいったように、わたしは自分の責任の重さを理解しているつもりです。だから、そういうお誘いはいつもお断りしているんですよ。自分の気持ちに反した感想を、映画なり小説なりにのべたことはいちどもありません」
「そうですか。それはすばらしいことだとおもいます」
「いえ、そんなたいしたことじゃありませんよ。…そうだ、そういうとき、わたしはいつも、おなじことをいってお断りするんですよ」
「どうおっしゃるんですか」
「お聞きになりたい?」
「ぜひお願いします」
 わたしの願いにたいして、彼はこういってウィンクした。「『それは無理ですね。全米ひろしといえども』」

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全米

「全米」である。映画の予告編なんかによくでてくるあの「全米」である。あまりにもやたらとでてくるのでちっとも信憑性がない謎の「全米」である。あるときは「驚愕」してみたり、またあるときは「感動」してみたり、かとおもえば「興奮」してみたり「泣いて」みたり「笑って」みたり、つまり「全米が驚愕!」だの「全米が感動!」だの「全米が興奮!」だの「全米が泣いた!」だの、なんだかんだと喜怒哀楽のいそがしいやつなのだが、そんなにもしょっちゅう「全米」というやつは挙国一致というか国家総動員で泣いたり笑ったりたまげたり怒ったりブッとんだりしてるのか。そんなにまで一致団結して、北朝鮮みたいにみんなしておんなじ方向をむいているのか。どうにもまったくもって疑わしいことこのうえない「全米」なのだが、かといって「一部の米が驚愕!」とか「米の三割が感動!」とかそういうのはかつてみたことがない。なにがなんでも「全米」なんである。「米」といえばそのまえに「全」がつくことになってしまっているのである。正直なところ、米というやつは、ハタからみていてあれほど支離滅裂なところはない。タコの八本足がそれぞれちがう方向へいこうとしてけっきょくにっちもさっちもいかなくなってるみたいなやつである。はやい話、ディズニーランドもあればマリリンマンソンだっている。モルモン教徒もいればマイケルジャクソンだっている。支離滅裂である。にもかかわらず、なんで「全米」なのか。モルモンとマイケルがおなじことかんがえるのか。まったくもってはなはだ疑問な「全米」なんだけど、とりあえずあそこではことあるごとに十把一絡げに「全米」ということになってしまう。こんなこっていいんでしょうか。そのうち全米に怒られそうな気がします。

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September 04, 2004

理由なき反抗

さらに茨城県民性というものについてのべてしまうのだが、茨城のひとの性質に、非協力的というか、反社会的というか、無政府主義的というか、そういうものがある。みたいな気がする。たとえば読者諸君においては、「茨城」のよみかたについて、「いばらぎ」ではなく「いばらき」がただしいんだ、という主張をどこかでみかけたりきいたりしたことがありますまいか。この主張の意味するところは「だから「いばらぎ」ではなく「いばらき」といいなさい」というものである。こんな主張をきいてしまったら、茨城県民としてはもう、「いばらぎ」といわずにはいられない。「いばらぎっていうな」といわれると、いばらぎといわずにはおれない。そういう、するなといわれたことをせずにはおれない県民性というものがある。じっさい、茨城県民のおおくがきょうも茨城を「いばらぎ」と元気に発音しているわけだが、ここにはそういう事情がある。方言だとか茨城弁だとかダッペだとかはこのさい関係がない。たんにこれは茨城県民性の問題なのだ諸君。いやほんとに。あるいはたとえば、どこかに空き地があったとする。だれもそこにゴミを捨てようなんておもわない。でも、もしそこに「ココにゴミを捨てるな」なんて看板があると、とたんに捨てずにはいられなくなる。茨城県民性だ。もちろんゴミを捨てたいわけじゃない。そもそも、あたりかまわずゴミを捨てるなんてとんでもないことだとおもっている。そのへんの常識はある。でも、「ゴミを捨てるな」という看板があるともうダメである。「捨てるな」といわれたらもう、捨てるしかない。わざわざゴミをつくってでもむりやり捨てなくちゃならない。ためしにどこか、茨城県内のゴミひとつない空き地に「ここにゴミを捨てるな」という看板をたててみるといい。一夜にしてゴミの山ができているはずである。かんがえてみるとこういうのは反社会的とかいうよりも、たんにあまのじゃくとひねくれものとかいうような気がしてきたけど、とにかくそういう性質が茨城県民にはあって、おかげでおれなんかも大変に難儀である。なにしろ余計な立て看板というのはチマタにはそこらじゅうにあふれていて、「ここで立ち小便をスルナ」とかいうのがあったらしたくもない小便をしなくちゃならないし、「痴漢に注意!」とかいう看板があれば「ここでおれは何をどうすればいいのだろう?」としばらくなやまなくちゃならないし、それはもういろいろ大変である。いちばん迷惑なのは、断崖絶壁のてっぺんにいったりすると「はやまるな、まだどうにでもなる」とかなんとか、飛び降り自殺をおもいとどまらせようとする看板があったりする。う、こ、これは、である。とたんに目の前がまっくらになる。もちろんおれは死にたくない。そんなつもりなどまったくない。まだまだながいきしたいのだ。にもかかわらず、そんなことをいわれてしまったら、はやまるしかない。これはもうもってうまれた茨城県民の血がそうさせるのであって、しかたのないことなのだ。おれにはどうしようもないことなのだ。そういうわけでなくなく飛び降りたことがこれまで三度ほどある。さいわい一命はとりとめたが、ほんとにしぬかとおもった。こういう県民性というのもあるので、いいかげんそのたわけた看板群はくにじゅうから排除していただけないものですかね。

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September 02, 2004

疑うひとたち

●ちかごろよその土地から茨城に引越してきたご夫婦の、茨城県にすんでみての、共通の感想に「茨城のひとはひとの話をきかない。きいてもまず疑ってかかってる。信じていないみたい」というのがあって、わらってしまった。ながねん茨城でくらしてきたおれの印象に「どうしてよその土地のひとはああもやすやすとひとのいうことを信じるのか」というのがあったからだ。だから、このご夫婦の感想というのは、ちょっと納得である。茨城県民にほんとにそういう傾向があるかどうかはしらないけど、とりあえずおれのまわりの茨城県民もまた、「他人を信じてしまうひとってふしぎだ」とかんがえてるのが多いみたいである。ときどき知人(茨城県民)とそういう話をする。「どうも世の中のひとというのは、他人のいうこと信じるみたいだなあ」「そうだなあ」「なんでかなあ」という会話をすることがある。いっぽう、よその土地のひととはあまりそういう会話はしたことがない気がする。
●そういえばこのインターネットというか、そのとうじはパソコン通信といっていたけど、BBSに書きこみをするようになったときに、さいしょにおれたちがとまどったのがそのことだった。おれたち、というのは、茨城在住の5人のともだちとパソコン通信をしていたからである。そんで、5人して共通のBBSに書きこみをして、週末によりあつまってかおをあわせて、ログをネタに世間話をするわけだが、どうもわれわれ以外のみなさんは、BBSの書きこみを本気にしているひとがおおいみたいなんである。われわれにはどうもそのあたりが理解しがたい。BBSの書きこみなんて、とてもじゃないが信じるわけにはいかない。もちろん、デマばかりながされてるとはおもわないけど、でも、ひとまず信じるわけにはいかない。われわれとしては100パーセントそういう認識なので、とうぜん世界中のひとたちも100パーセントおなじ認識なのであろうとかんがえるのだが、どうやらそういうものではなかったらしい。で、われわれは、こんなのなにを書いたっていいんだからと、無責任なデタラメを書きなぐったりしていたのだが、そういう話を本気にされてしまうことがあって、これはけっこうこまった。たとえばだれかが「ふつう1円玉に描かれてる木の枝の葉っぱは8枚ですが、こないだ9枚あるやつがあって云々」みたいな話をもっともらしく書くと、本気にされてしまうんである。そして本気のレスポンスがくる。とまどうしかない。そういう返事をまえにして、
「こんな話、うそにきまってんじゃんなあ」
「なあ」
「なんで本気にするかなあ」
「なんでかなあ」
「ちゅどーん」
みたいなことを話しあっていた。かんがえてみると最低な茨城県民5人衆ではある。さらにはオフなんかで「僕、文章というのは、うそを書いたらいけないものだとおもってました。だから、BBSにも、だれもうそを書くひとなんていないとおもってました」みたいなことをいう十代の少年がいたりすると、われわれはおおよろこびで、よってたかって教育したりした。「青少年よ、それはまったくぎゃくだ。BBSだろうとなんだろうと世の中のひとはみんなうそしかいわない。昔からいうだろ。おとなはうそつきだって。その通りだ。そしてきみはもう気づいているだろう。たしかにおとなはうそつきだが、子供はもっとうそつきだ。つまり、おとなも子供もみんなうそつきなのだ。だから、だれも信じてはいかん。親のいうことだって信じたらいかん。そして、きみもどうように、ほんとのことなんていってはいかん。いつだってうそ以外いってはいかん。それが人の世というものだぞ。あ、でも例外はある。いま、おれたちがいっているのは本当だ。世の中にはおれたちのような、いいひともいる。おれたちの目をみろ。うん、こういう目のひとたちのいうことは信用してもいい。でも、ほかの連中のいうことは信じるなよ」とかなんとか。かんがえてみるといよいよもって最低な茨城県民5人衆である。
●そんなわけだから、たとえば茨城県民が茨城県民に道をたずねるのなんて、大変である。
「ここ、まっすぐいくと、交差点があるから、そしたら左にまがって」
「左ですか」
「そう、左」
「ほんとに?」
「ほ、ほんとだよ」
「とても信じられん」
「うそいわないよ、信じてくれよ」
「う〜ん」
「ごめん。しょうがない、ほんとのこというよ。じつは右なんだ」
「やっぱり」
大変である。よその土地のひとが茨城県民に道をきいたりしたらもっと大変である。
「ここ、まっすぐいくと、交差点があるから、そしたら左にまがって」
「はい」
「はいって、あんた、信じちゃったの?」
「え」
「まあいいや、そしたらそのうち道バタにアフリカ象がいるから、そこで東のほうをむいて3分間いのるのね」
「は?」
「すると空から円盤がおりてくるから、そしたらそれのあとをついて」
「ええと……」
「あ、やっぱりさすがにうそだってわかった? はは、あんた、そんな簡単にひとを信じちゃいけないよ」
大変である。こりゃダメだということで、茨城ではうかつに道をたずねることができないので、山をぜんぶきりくずしてまったいらにならして、みとおしのよい土地にして、だれもだれかに道をたずねなくてすむようにしたというのはゆうめいな話である。
●というわたしは茨城県民。この文章も信じてはいけません。

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