July 04, 2017

Dる

→というわけでわたくしがディーラーである。ディーラーとはなにか? さよう、ディーラーとはディールするひとのことである。なにをディールするのかといえば、オリジナルレジンキットである。ちがうかもしれない。よくわからない。あと、ガレキともいうみたいである。瓦礫ではない。そのガレキではない。たぶん。じゃあなんのガレキなのかというと、これもよくわからんけど、たぶんガレージキットだからガレキなんだとおもう。たぶん。じゃあオリジナルレジンキットはオレキじゃないのかお歴々。といいたくなるがあまりそうはいわないみたいである。たぶん。そのへん、どういう法則性があるのかはわからない。この、われながらなんだかよくわからないものをDルしているわたくし自身、なんだかよくわからないえたいのしれない人物なので、まあちょうどよい。Dりはじめてもうかれこれ10年くらいはたっているとおもうのだが、なぜそんなことになってしまったのかというと、これまたよくわからない。ともかく月日はながれ、橋の下をそのぶんの水がながれ、いつのまにかわたくしはDラーである。Dってるんである。そして、Dリングの季節がまたやってくる。2月と7月。年に2回、わたくしがDるときである。へらっしゃいませえ。とかいいながら、おそらくハタからみたらおそろしくあやしげなほほえみを力なくうかべてレジンキットを販売するんである。レジンキットというのは、ひらたくいうと「美少女フィギュア」というやつである。いわゆる。あれである。あれの、色のぬられていない、組み立てられてさえいない、ばらばらの部品が袋のなかにちらばっているだけの、未塗装未完成品をうる。うるというのは買うひとがいるから成り立つわけだが、そういうキトクなひとがなぜかいる。うれる。だから、ここぞとばかりにうってうってうりまくる。さすがに10年もやっていると、いろいろなひとがわたくしのまえにあらわれて、いろいろな表情をわたくしに見せ、いろいろなことをわたくしに伝えていった。印象的なかたもたくさんおられた。というか、基本的にこの世界、印象的なかたしかおられない。みなさん、ひとしく、印象的である。たとえば、夏は暑い。というか、熱い。この会場、熱い。hot.おまけにみなさんそんなのはしったこっちゃない。購買意欲に燃え盛っておられる。ひとりひとりが周囲の気温を0.1℃くらいずつあげて、目を血走らせて行列にならび、あるいは一心不乱に目的地をめざして移動している。そういうひとが数千人いる。もっといるかも。だから、そりゃもう、hot.なので、みんな汗だくだったりする。なかには「あなたたったいま海浜幕張の海からあがってきたところではないのですか?」とたずねたくなるようなずぶ濡れの紳士が、わたくしの売り場の列にならならんでいたりする。はあはあぜえぜえといいながら。このままこのひと、ここでブッ倒れて死んだりしないだろうなあと心配になって、さっきもらったガルパンのうちわであおいであげたりする。だいじょぶですか、あついですねえ、とか話しかけながら。ありがとうございます、と感謝されたりする。いえいえどうも、とこたえて、おたがいに笑顔になったりする。ディーラーたるもの、やはり細かいこころ配りがたいせつなんである。あと、女性のお客様に、どうやって色はぬるのか、どうすればうまくぬれるのか、こつはあるのか、とたずねられたりする。これはわりとしょっちゅうある。そんなのおれだってしらないよ。あ。ちがう。ディーラー、言葉まちがえました。それはわたくしもぞんじません。こっちがおたずねしたいくらいです。といいたいのはヤマヤマなのだが、やはりそこはディーラー、なにか適当なことをいわなくてはいけない。「うまくなんてぬらなくていいんです。心をこめてぬりぬりしてあげてください。愛です。愛でぬるんです。一筆一筆。そうしてできあがったフィギュアは、世界でたったひとつの、あなただけのたからものです。一生のたからものです。うまいとかへたとかじゃない。愛です」とかなんとか。そうしてくだんのお客様のおかおをみつめると、なんだか感心なさっておられるみたいである。そうして財布に手がのびる。お買い上げありがとうございます。じぶんでもふしぎなのだが、こころにもないことをいうとき、なぜかわたくしはとても饒舌になる。ついでに活舌もひじょうによくなる。まるで台本を暗記してきた演劇部員みたいなことになる。最終的にひとから信頼をえられないのは、わたくしのこういうところにあるのではないか。とわたくしはちょっとおもったりする。あとディーラーとしてこまるのは、注文をされるときに商品名をいわずに「○○くん」とか「○○ちゃん」とかの愛称でいわれたりとか、あと役柄とか役職とか立場とかなんだかいろいろな呼ばれ方があって、それでいわれてしまうときである。これもよくある。すごくよくある。おなじキャラクターなのにいくつも呼び方があって、そうすると、これはさすがにごまかしがきかない。こっちはどれがだれなのか、あんまりわかっていなかったりする。だってしらないんだもん。ちゃんと商品名いってくれよ。などといえるわけもなく、ひたすら恐縮しながら、それはこれのことですか、それともこっちのこれのことですか、とたずねることになる。そんなことをしていると、売り場のまえの列がどんどんのびてゆく。そっちにならばないでくださあい。通路ふさがないでくださあい。こっちに並んでくださあい。と行列指導をしたりする。世の中にはそういう行為がある。お客様はみなさん印象的で個性的ななかたがただが、それとどうじにみなさんひじょうに素直なひとばかりである。羊のように従順である。こっちに並べといえばすなおにそっちへゆく。あっちをむけといえばあっちをむく。で、行列はこれでいいとして、あんたはどれがほしいんだ。これか。あれか。両方か。なに? 3つくれ? いやだめだ。これはひとり一個までだ。それが決まりだ。それより多くは売れない。そんなこともしらないのか。ち。しろうとはこれだから。あっ、またそっちにならんでるっ。だめだめ、こっちに並んでください。とかなんとか。ディーラー、いろいろ大変である。でも、じつをいうとけっこうたのしい。ディーラーとして大変なのははじめの小一時間くらいで、なんでかというと売り切れちゃったりするからである。うれるやつはあっというまに売り切れる。はじめの数十分でぜんぶはけてしまう。そこでうれ残ったのは、もうあんまりうれない。一時間にいっことか、ぽつりぽつりとうれてくのみである。どのへんにうれる要素があって、うれないのはどのへんがだめなのか、そのあたりのことはディーラーにはあまりよくわからない。とりあえず、嵐のような開始数十分がすぎてしまえばあとは気楽なもので、そのあとはぼーっとあたりをゆきかうひとをながめて、コスプレのひとっていうのは布があんなにすくなくて、あれはあれでいいのかなあといぶかったりとか、てきとうにそのへんをぶらぶらながめてあるいて、じょうずなフィギュアには感心をしたりだとか、個性がさく裂してるやつに度肝をぬかれたりとか、あまりに感心したときはいっそディーラーさんに話しかけてみたりとか、そんなふうにしてすごしているのもまたなかなかにたのしい。そんなたのしいこんどのフェスティボーは今月末。Dってきます。おお。あなたは参加なさるのですか。じゃあ、どっかですれちがったりするかもしれませんね。

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July 01, 2017

アノテーションにあいわたるとは何のいいぞ

→敗因はやはりあの、モバイルフレンドリーではありませんである。わたくしにはホームページがあって、それはみずからがひらいている塾のホームページで、もうつくってからずいぶん時間もたって古くなって、つくった本人さえめったに思い出しもしないような悲しい、うらさびれたやつである。これを先日たまたまゴーグルで検索してみたところ、だいたいゴーグルの失礼なところは、わたくしの風前のトモシビの塾が検索の上位にあらわれるなどということはありえないにしても、それにしたってやがて候補のどこか末席ぐらいはけがしてくれててもばちはあたるまいとおもうのだがしかし、いけどもいけどもわたくしの塾が候補にまったくあらわれない、それどころかどんどんカスリもしなくなってゆくというのは、これはどういうことなのだ? それはさすがになにかがおかしいんじゃないかと思うのだが、だれにどう文句をいっていいのかさえわからないのでおとなしくしていた。これが先日検索をしてみたところ、どういう風のふきまわしか候補にあらわれて、あらわれてくれたのはいいのだがその下に「このページはモバイルフレンドリーではありません」と、こうである。余計なお世話もいいところである。だいたいわたくしはモバイルは持っていないしそもそもモバイルという言い方がなにか気に入らないし、そんなのとフレンドリーになりたくないというかそれ以前にわたくしはだれともフレンドリーであったためしなどないヘンクツ者であるだからほっといてくれといえるのならわたくしもたいしたものなのだが、もちろんそんな度胸などなく、あなたはフレンドリーではありませんときっぱり言い切られてわたくしはいっぺんにしゅんとなってしまった。シオシオになってしまった。すみませんでした。わたくしが悪かったです。それでわたくしはなにをどうすればよいのでしょうかといろいろとゴーグルのホームページを読ませていただいたところ、アノテーションなのだそうである。これがどうみても敗因である。よくわからないんだけど。ええと、あの、アノテーションでなんでしょん? はじめて聞きました。アジテーションならちょっとわかる気がするんですけど、あれの親戚かなにかでしょうか。それともあの、なにかわたくしをだまそうとしてないですか? わたくしだけでなく、ゴーグルさんあなた、世の中全体をあらぬ方向へと導こうとしてないですか? わたくしのおもいすごしならばいいのですが、いえあのですね、どうもゴーグルさんは難しい聞いたことのない言葉をあちこちにちりばめて、アノテーションコノテーションでわたくしをだましにきてはいないですか? あなたのところのホームページを読ませていただいていると、わたくしは、どうにもなんだか不安でしかたがなくなるのです。心配になってくるのです。たしかに世界でなにかがおこりつつある、だがわたくしはそれがなんなのかわからない、わからないまま取り残されてゆく、という心配です。というわけで心配になったわたくしは、おとなしくモバイルのフレンドリー化をすすめることにした。そこからさきの艱難辛苦にかんしては、これはもう筆舌に尽くしがたいモノがある。どれほど苦労したかというと、だれもそんな話は聞きたくないだろうからはしょるけれど、ひかえめにいってわたくしは死ぬかと思いました。もはやこれは死ぬるのではあるまいかと思いながらフレンドリーしました。フレンドリーとはこんなにしんどいものなんですか。泳げども泳げどもあかりが見えない夜の海で必死に手足をふりまわしてもがいているような気分でぱたぱたとキーボードをはたいてはアタマをかきむしるというのをワンセットで100セットほど繰り返し、そうしてどうにか最後のページまでフレンドリーにしてみた。最後のページというのは「定期テスト対策」というやつである。なんでこれが最後になったかというと、ページソースのなかに<script>があるからである。htmlならまだすこしはわかるのだが、この<script>というやつはいけない。お手上げである。見たくもない。あるいはつまり、そういう心構えがわたくしの最大の敗因なのかもしれないとは思う。はじめからもう、ややこしそうなのはおぼえる気がない。見たくない。なんとかその場しのぎでごまかせる方法はないかと、そういう都合のいいことばかり必死に考えて、いちからきちんと、基本からきちんとおぼえてやっていこうという気持ちがない。それでけっきょくかえって苦労が大きくなっている。話がややこしいことにどんどんなっていく。借金が借金をよんで借金がふくらんでいるようなのが、わたくしの開設しているホームページのソース状態である。じつをいうと。見ないでください。恥ずかしいです。

→いったい何がいいたかったのがじぶんでもわからなくなってきたのでたまには段落を変えて落ち着いてみた。ともかくフレンドリー化したわたくしのフレンドリー塾のフレンドリーホームページのフレンドリー定期テストフレンドリー対策コーナーには、英単語練習のページというのがあって、たとえば「問:友達」とかでてきたら、そのしたのマス目に「frend」とかいれると「不正解!」といってもらえるという、そんなかんじのやつである。そこをフレンドリーにしおえて、ああ、やっと全部フレンドリーにしたったわい、いまわたくしはついにフレンドリー、いやあみなさん、どうぞよろしくどもども。と、フレンドリーと大書された名刺をあたりのひとにくばってあるきたいような、ちょっと浮かれた気ぶんで家族のもののスマホを借りてきて、さっそく単語テストをやってみた。「問い:美しい」とでてきたので、ビューティホーと打ち込もうとして、でも入力のしかたがわからないのでそこはたずねながら「bea」まで入力したところで、「予測変換で上にbeautifulってでてるよ」と家族のものがいう。にわかには意味がのみこめずしげしげと画面をながめると、予測変換候補というのが打ち込もうとしている窓の枠上にずらずらとでていて、さあここからえらべ、これをつつけば入力完了、といわんばかりである。まだわたくしは「bea」までしかいれてないのに。おまえはサトリの妖怪か、といいたくなるくらいのあざやかさで「beautiful」と、こうである。え? なにこれ? こんなのでてきちゃうの? じゃあ単語テスト、意味ないじゃん? とわたくしが気づくのとどうじに、わたくしの背後にいた家族のものが「ぷふっ」と声をもらすのをわたくしは聞いた。わたくしはその声をたしかに知っている。それは、ひとが「わらっちゃいけない、でも、でも、がまんできない」というときにもらす声である。その声がうしろで聞こえた。だがいまは、そんなことを気にしているときじゃない。その件についてはあとで家族のものとじっくり話し合うことにして、とりあえずわたくしはもうすこしテストをつづけることにした。たしかに、こんなときまでフレンドリーとはたしかに、モバイルとはたいしたものである。でもね、これはテストなんだから、そういうときはそんなにフレンドリーになることはないんだよきみ、わかってる? とモバイルにいいきかせてみたところで事態はいっこうにかわらず、リブといれればライブラリー、ワンといれればワンダホー、つぎからつぎへとそのちょうしである。……。この敗北感はいったいなんなんだろう。しばしかんがえこんで、そうしてえた結論は、つまりわたくしの敗因は、じぶんでスマホをもってもいないのにフレンドリーになろうとしたところである。そこに尽きる。ような気がする。つまりこれはわたくしもスマホをもてと。つかえと。そういうことなのか。しかしなあ。わたくし、あれ、だめなんだよ。目がちっかちっかしちゃって。見えないんだよ。もうトシなんだよ。かんべんしてくれよ。と、フレンドリーすぎる単語テストページをまえにしたわたくしの心のなかをさまざまな思いがゆきかったという、うえをしたへのアノテーション。フレンドリーはこりごりだ。


上の文をよく読んだら、次の問いに答えなさい。

問い「けっきょく筆者は何に負けたのか。簡潔に述べよ」

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宇宙戦艦クロネコヤマト

せんじつ家族のものがクロネコヤマトから荷物を送りたいというので営業所までつれていってクルマのなかでまっているときになぜか宇宙戦艦クロネコヤマトというのがうかんできて、さらば~ちきゅうよ~と歌まであたまのなかになりひびいてしまい、イスカンダルまで荷物を届けに行って留守だったら悲しいだろうなあ、不在票をおいて帰るのは残念だよねえとひとりで同情してしまいました。すいません。

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June 25, 2017

谷キュー

●八年ばかりまえのことなのだが、わたくしは用があって大阪市営地下鉄にのっていた。めざしていたのは谷町九丁目という駅である。たぶんいつものようにぼけえっと電車内ですごし、やがて目的地に到着したのでわたくしは電車をおりた。そして人と会う約束のある建物をめざして、プリントアウトした地図を片手に町のなかを歩いた。のはいいんだけど、この建物というのが行けども行けどもでてこない。それいぜんに、どうも地図と街並みがぜんぜん一致しない。似てなくはないんだけど、でもやっぱりぜんぜんぴんとこない。ものすごく暑い日で、すぐにわたくしは汗だくになってしまった。けれども目的地はみつからない。じぶんでもいうのもなんだが、こう見えてわたくしはかなり時間にキビしいほうである。パンクチャルなほうである。遅刻というのはまずめったにしない。べつにほめられたくていっているわけじゃない。たぶんこういうのは性格の問題で、きっちり時間通りに目的地に存在しているということに、えもいわれぬ快感をおぼえてしまうたちなんである。だから、よくいう5分前集合というのはわたくしにとってはあたりまえのことで、というかたいていは15分前くらいには集合しているし、なんなら1時間前集合していることだってある。このときの人とあう約束というのも、それなりにたいせつな約束だったので、1時間以上ははやく目的地に存在するつもりでわたくしは電車にのっていた。のだが、まさか電車をおりたあとに道に迷う、それも地図がまったく意味不明で道に迷うという、まるで予測していなかった事態におちいってわたくしは、おなじ場所をなんどもなんどもいったりきたりしてるうちにだんだん心細くなってきた。どうにも困りはて、もはや自力ではこれはどうにもならんとサジをなげたわたくしは目についたコンビニ店にはいり、にぎっていた地図をみせて、ここに行きたいのですがどう行けばよいのでしょうかとたずねた。地図をみた店員さんはしばらくクビをひねっていたのだが、やがて、これはもしやふた駅さきの地図ではあるまいか、といいだした。この地図には谷町九丁目とかかれているが、ここは四丁目だ、というのだ。…は? ここ、谷町九丁目じゃないの? 四丁目? なんだそりゃ。なるほど地図が意味不明なのも道理である。そもそもわたくしは谷町には四丁目とか九丁目とかあるのだということなどツユ知らず、いやまあ九丁目があるんだから四丁目もあるんだろうけど、そうではなくて、九丁目という駅のほかに四丁目という駅があるとは知らなくて、たんに谷町九丁目駅というのをめざして地下鉄に乗っていて、というかそもそも九丁目というのすらあまり意識しておらず、谷町n丁目ぐらいにしか考えておらず、駅についたら「谷町n丁目」というアナウンスがあって、駅名板にも「谷町n丁目」と書かれてるからおお着いた着いたと勝手に信じこんで電車を降りていたのであった。まさかn丁目のほかに(n-5)丁目もあるだなんてそんな巧妙なワナが仕掛けられてるとは思いもよらなんだ。チクチョウメ。まあ世の中いろんなことがあるものよなあと感心しながら店員さんにお礼をいい、さいど地下鉄に乗りなおしてどうにか約束の時間には間にあうことができたのだが、でもなあ。それにしたってなあ。そりゃねえよなあ、とあとになって考えた。なにがないだろうって、そりゃねえだろう大阪市営地下鉄。しかもあきれたことに谷町シリーズに仕組まれたワナは四と九だけでなく六丁目というのまであって、谷町四丁目駅のつぎは谷町六丁目駅で、そのつぎが谷町九丁目駅なんである。そりゃあねえよなあ。電車の駅名に使っていい漢字や文字が何種類あるのかはしらないけど、そのなかから任意に五文字を選んで駅名をつけたとき、そのうちの四文字までが順番からして一致している確率を求めよなんて、ちょっと数学の試験の問題にでてきそうである。そして、いったいどれほど途方もない確率なんだ? と問題用紙をまえにしてアタマをかかえそうになるような、そんな話である。もしかしたらずっと関西にうまれてそだったひとにとっては、谷町四丁目のつぎは谷町六丁目でそのつぎは谷町九丁目で、それはそういうもので当たり前のことなのだろう。そうはおもうのだが、そんなのしったこっちゃないイバラギ県民にしてみたら、それはないだろうとしかいいようがない。なんでそんな、わたくしからしてみたら思いもよらないような、まぎらわしいことこのうえないことをするのか。たばかっているのか。このわたくしを。世間の人々を。おとしいれようとしているのか。このわたくしを。世間の人々を。もしそうであるのなら個人的にはそれはそれで楽しいのでそういうのもアリかもしれないと思うが、でもまさか大阪市がそんなことをするはずはなくて、たぶん、ふつうに、まじめに、ふざけているとかおとしいれようとかたばかろうとかおちょくろうとか受けようとかいう考えはまるでなく、単にふつうに、まじめに、谷町四丁目と谷町六丁目と谷町九丁目なんだろう。だって実際ここは谷町四丁目だしあっちは六丁目だしそのむこうは九丁目だし、谷町四丁目を谷町四丁目といってなにが悪いんですか。なんの文句があるんですか。変ないいがかりはやめてもらえませんか。といわれたらわたくしもまあ、それはそうですねとスゴスゴひっこむしかないのだけれど、でも、もしわたくしがどこかの駅の駅名を好きにつけていいということになったら、谷町四丁目駅のとなりは谷町六丁目だということには絶対にしない。そのさきが谷町九丁目だということになんて、いよいよもって絶対にしない。なぜかといえば、もちろん、「まちがえるから」である。だって駅名なんて、血の池地獄でもハンニャハラミタでも、なんでもいいんである。だったら、なるたけまぎらわしくないようにしとこうと、わたくしならそう思う。だいたいが地下鉄である。夜もふければ酔っ払った紳士淑女のみなさんが、大阪の言葉でいうところのおっちゃんやおばちゃんやにーちゃんやねーちゃんが、意識モーローとして乗り込んでいなさる。酩酊状態のかたがたがそこかしこにおられる。そういったかたがたに四丁目なのか六丁目なのか九丁目なのか判断しろというのは、それはコクというものである。四と六と九でシロクマか。おいちょかぶならうれしいが、でも地下鉄はおいちょかぶじゃない。そこはシロクロはっきりさせとこうじゃないか。まぎらわしいのはいけない。だからきちんと、ぱっと見ただけで区別がつくような駅名にしとこうと、わたくしならそう考える。わたくしならそうかんがえるのだが、しかし、自分がそう思うんだからほかのひともそう思うだろうというのはおおまちがいで、そんなわけで今日もあそこは谷町四丁目と谷町六丁目と谷町九丁目である。なんの反省も自省もなく。きのうもそうだったし、たぶん明日もそうなのだろう。谷キュー。あなたには痛い目にあわされました。あなたのことはけっして忘れません。はい。んで、こんなふうにいちど痛い目にあって、似たような駅名というのを気にしてすごしていると、じつはそこらじゅうにそういうのがある。たとえばうちの近所の常磐線の駅でいうと柏のほかに南柏と北柏というのがあるし、あと、松戸にも北松戸とか新松戸というのもある。取手にだって、裏取手とか逆さ取手というのがある。というのはさすがに冗談だけど、でも、日本全国きっとそんなのだらけなんじゃないかとおもう。たぶん。けどさあ。それ、もうちょっとなんかなかったのかなあ。駅名をつけるみなさん。そりゃ各方面から苦情とか苦言とか文句とかがでないような、でるにしてもなるたけ少なくてすむようなあたりさわりのない名前をつけたくなる気持ちはわかる。それはわかる。でも、あなたがつける駅名は、あなたが勝手に決めちゃえばもうそれでいいんである。文句はどうせでる。誰もなんにもいってこないなんてことはありえない。誰かがなんかはいってくる。だけど、そんなのはいちいち気にしなくていいんだ。もっと自分に自信をもとうよ。自信をもっていこうよ。そして、利用するひとがまちがえないような、まちがえたくったってまちがえようがないような、そういう駅名をつけるようにしようよ。お願いだから。雲雀丘花屋敷とか、喜連瓜破とか、放出とか、あるじゃんあなたがたのとこだって、そういうの。いろいろ。いい駅名だと思うよ。はじめて見たときには「おっ」となって、なんだこりゃとすぐにおぼえて、すくなくとも、まちがえようがない。ばっと見ただけで「おお、着いた着いた」となる。しかも安心。まちがえてる心配がこれっぽっちもない。駅名というのはやっぱり、そういうのだと思うんだけどなあ。どうすかね。

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October 15, 2006

犯罪者心理

25年くらいまえにいちど、トイレで脱糞をして流さなかったことがあります。ついうっかりというのではなくて、わかっていながら流しませんでした。すいません。確信犯です。最低です。それはある喫茶店でのことで、なんでかといえば流れなかったからです。装置が故障していたらしく、どうにも水が流れてこない。であるからには必然的に流すべきモノも流れません。ビクともせん。国やぶれて山河ありです。よくわからないけど。そんで、さらにまずいことに、そのときわたしは女の子とデート中でした。初デートだったとおもいました。よりによってそんなときに、とんでもない災厄をひきあててしまったものでございます。榎本加奈子で17秒フリーズをひくような確率だとおもいます。われながらものすごいヒキです。わたしはお店のひとにこのことを告げるべきだったのでしょうか。たぶんきっとそうするべきだったのでしょう。それはわかります。でも、そのときのわたしにはどうしてもそれがいえませんでした。すきな女の子とやっとこぎつけたデートのさいちゅうに彼女のまえで「流れませんでした」とはとてもいえませんでした。いえずにどうしたかというと、逃走しました。トイレからでるとただちに彼女をおいたてて、いやもうほとんどかっさらうかのようにして店外脱出しました。すいませんつぎのひと。なみだをのんでわたしはいま、この場から去ります。でもわるいのはあの店の水洗装置です。おれはなにひとつわるくないです。いやわるいかな。どうかんがえてもわるいですね。ごめんなさい。でも、わかっていてもしかたのないことってあるんです。そんで、その場はどうにかそうやってきりぬけたものの、そのあと数週間にわたって、このことが気になってしかたありませんでした。「あれはどうなったろう?」となんどもかんがえて、なんども確認にいきたくなりました。犯人はかならずあとになって現場の確認に戻るという話をききますが、その心理というのはこういうものであるのかとこの身をもってまなんだのでございました。

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